「そうですか松江からですか。あのラフカディオ・ハーンの」。
 日本人学校校長として赴任されていた三代さんが松江の方と聞いて懐かしさを感じた。私は松江には行ったことがない。何県にあるのかも知らなかった。でも、子供の頃ラフカディオ・ハーン(日本名、小泉八雲)の怪談集を読んでから尋ねてみたい土地のひとつであった。機会がなくいまだに実現していないが、「怪談」の中の色々な話は、今でも心の中にそっとある。「雪女」、「耳無し芳一」、「屏風絵のおんな」「乳母桜」など。なかでも一番好きな話が「おしどり」。
 
 昔、あるところに、一人の猟師がおりました。ある日のこと猟師は狩りに出かけたものの何も獲物を見つけることが出来ません。思案にくれていたら、おしどりのつがいが並んで泳いでいました。猟師はお腹を空かせていたので二羽のおしどり目掛けて矢を放ちました。矢は雄鳥に命中し、雌鳥は向こう岸の草の中に逃げ込み姿を消しました。
 その夜、猟師は夢を見ました。美しい女が部屋に入ってきて枕元に立ちさめざめと泣き始めました。「あの人がどんな悪い事をしたというのですか。私達二人はとても幸せに暮らしていたのに、貴方はあの人を殺してしまいました。貴方はご自分が何をなさったかお分かりでしょうか。貴方は私までも殺してしまわれたのです。夫を亡くして私はとても生きてはいけません。貴方はご自分がなさった事を少しもご存知ないのです。でも明日、赤沼へいらっしゃれば、きっとお分かりになるでしょう」。そう言って、泣きながら女は立ち去りました。
 目が覚めた猟師は夢のことが心に残り、気がかりになりました。あれはただの夢なのかどうか確かめようと、赤沼へ行きました。川岸に着くとそこには雌のおしどりが一羽泳いでいました。おしどりも猟師に気づきました。けれど、おしどりは逃げようとせず、猟師の方に向かってまっしぐらに泳いできます。そして、突如、くちばしで自分の体を突き裂いたかと思うと猟師の目の前で命絶え果てたのです。
 それから、猟師は頭を丸めて僧になりました。

 おしどりの話は祖母からも聞いた。この話だけは不思議に何回聞いても飽きなかった。祖母は色んな昔話を良く知っていて話し方も上手だった。
 「むかぁし、むかし、あるところぅに えらぁいお坊様がおらしたんだと」。ひとつの話が終わると「もっと、もっと」と私がせがむ。「お前には往生するわ」と言いながら面白い節回しで話を始める。目を閉じると祖母の声が聞こえてくる。
 私には「おしどり」の話とよく似た体験が幾つかあった。ある日、家に一羽のカナリヤが迷い込んできた。どこからか逃げてきたようだが、放すと犬か猫に食べられてしまうと思い、そのまま私の所で飼う事にした。カナちゃんと名付けて息子と一緒に世話をした。ところが、カナリヤなのにカナちゃんは全く鳴かない。雌だから雄と一緒にしてやると鳴くようになると云われ、さっそく小鳥の店へ行ってコロコロ歌っている若い雄を選んできた。名前は息子がガッチャンとつけた。
 直ぐに気が合って同じ止まり木に寄り添ってピチプチ喋るようになった。止まり木の端に巣箱をつけてやると、「待ってました」とばかりにせっせと羽を集め始めた。ある朝気がついたら巣の中に小さな卵が3個あった。それから二羽の雛がかえった。雛たちが飛べるようになったので、大きい鳥かごに買い替えた。鳥の家族は夜になると四羽とも一直線に止まり木に並ぶ。二羽の雛を真ん中にはさんで両脇にガッチャンとカナちゃんが寄り添う姿は本当に愛らしかった。でもこの幸せは長く続かなかった。
 初夏のある日、居間のガラス戸を全開にして私は日光浴をしていた。ガッチャンが楽しそうに歌って、雛達は止まり木を飛び回っていた。あまりの気分の良さに少しうたた寝をしてしまったらしい。ガタン、バタバタバタ、カナちゃんのキーッと言う音で目が覚めた。
 鳥かごがひっくり返っている。慌てて鳥かごに覆いかぶさって鳥たちが空中に飛び出さないように囲った。その時サッと黒い猫が逃げていったのが見えた。やっとの思いで鳥かごを元の位置に戻して中を見ると一番ちっちゃい雛がいない。
 「ああ、あの黒猫が持っていっちゃったんだ。どうしよう」。
 「お母さんの馬鹿バカ!」。息子の涙顔が辛い。
 「また卵を産むよ!」と、いつも平静な夫の言葉。
 「そうならいいけれど.」。でもそうはならなかった。
 その晩からカナリヤたちは静かに眠る事が出来なくなっていた。アッチコッチと飛び回ったり柵にしがみ付いたり、落ち着かない。お兄ちゃんは丸まったまま、あまり動かなくなった。そしてガッチャンは、全然鳴かなくなった。
 三日目の朝、お兄ちゃんが止まり木から落ちて死んでいた。カナちゃんはバタバタ飛び回って落ち着かない。いなくなった二羽の子供たちを捜しているのだろうか。そして、だんだんカナちゃんの様子がおかしくなった。羽に艶がなくなり、抜けてきた。餌もあまり食べない。そして1週間、やはりカナちゃんは止まり木の下で死んでいた。
 一人ぼっちになってしまったガッチャンはその後、1年ばかり生きた。淋しかろうと2度ばかり見合いをさせたが、気に入ったパートナーは見つからなかった。そして、最後まで一声も鳴かなかった。鳥でも死ぬほど悲しい気持ちを持っているのだろうか。幸せだった家族がちょっとしたきっかけで崩壊してしまう。鳥の世界でも人間の世界でも違いは無いのかと思った。

 息子が友達からハムスターのつがいを貰ってきた。このカップルの悪戯には参った。タンスの隙間に入ったら引っ張り出すのに大騒ぎ。クッションの中に入って羽毛を散らかすし、アッチにいたと思ったらコッチにと神出鬼没で困り果てた。息子の大事なペットなので捨てに行くわけにもいかず、それで息子のために建てた掘っ立て小屋に連れて行った。
 木箱を見つけて、その三分の一のところに柵をこしらえ干し草を入れて彼等の寝場所を作り、後の三分の二は遊び場にした。天井にはガラス板を3枚、隙間を空けて置いた。これで光も空気も入る。彼等は柵を出たり入ったりして気にいっている様子だった。私は2日ごとに乾いたパンとサラダを持って通い、週末は息子が一緒だった。乾いた硬いパンが好
 物で、両手に持ってカリカリ、カリカリ食べるのが可愛いかった。

 その日も、いつもの様に固いパンを持って出かけた。小屋へたどり着いたらどうも様子が変だ。何も盗られるものは置いてないので心配は無いけれど、入ってみて驚いた。ハムスターの箱が荒らされている。ガラス板が下に落ちていて箱の中が裸になっている。急いでハムスターを探すと大きい雄の方がいない。雌の方は柵の内側で丸く縮まっている。どうも狐にやられたらしい。小さくなっている雌を手の平にとって背中を撫でてやっても、いつもの様に喜ばない。好物のパンを与えても食べようとしない。
 このまま小屋に置いておくと狐に食べられてしまうと思い、アパートに持って帰った。日が経てば元気になってくれると思ったが、反対にどんどん弱くなっていき、気がついた時は柵の間に頭を突っ込んで死んでいた。自ら首を柵に押し付けて自殺したように見えた。「夫をなくしては生きていけません」。そんな風に云っているように見えた。

 私は昨年、最愛の母を亡くした。それ故、余計に生きとし生ける物の哀しさが心に沁みてくるのかも知れない。