ゴールを揺らす瞬間は周囲の時間が止まって見える。ゴールキーパーの動き、ボールが飛んでいく道筋、ゴールに吸い込まれる直前に全てが見える。まるで自分が予知能力者になったかのような、自分だけがこの世界の住人かのような錯覚を覚える。実際は当然、自分が行った動作の直後に見えている世界。しかし振り返って思い出しても、それらが直後に視えている世界なのか、直前に視えている世界なのか正確に区別することが出来ない。
 次の刹那、観客の歓喜と落胆の入り混じった大歓声、拍手する音、時には水を打ったような静けさに身を包まれる。そこで自分の意志とは別のところで、身体が反応を起こす。興奮、武者震い、鳥肌・・・。
 水球というスポーツから離れられなくなってしまったゴールがある。2002年に韓国・釜山で行われたアジア大会。初めて全日本の代表として望んだ国際大会。日本チームは決勝まで駒を進め、カザフスタンとの大一番を迎えた。
 私は当時20歳で、ベンチから試合開始の笛を聞いていた。激しい試合、予想していたよりも早く出場機会を迎える。しかしながら心体共に準備万全。
 日本チームのポイントゲッターだった選手がシュートを狙う。相手ゴールキーパーは完全に私を視線から外している。ゴールに隙がある。それらを確認した直後、絶妙なパスがポイントゲッターの選手から飛んできた。ゴールキーパーの反応が遅れている。「入る」と確信して放ったシュートが、ゴールキーパーの手に一度当たり、ゴールネットを揺らした。
 試合会場は大きかったが、どれだけの歓声だったかは全く覚えていない。覚えているのは、ゴールを確認した直後、瞬間に血の気が引き、鳥肌が立って、叫びながらガッツポーズをしたこと。引いた血が、また一瞬にして全身を駆け巡ったかのように身体が熱くなったこと。
 結局その試合は大接戦の末、延長でも決着がつかずペナルティースロー戦(サッカーでいうPK合戦)で敗れた。負けた試合だが、あの興奮した身体の熱は私を水球大国・ハンガリーへ導いてくれた動機の源泉である。
 ハンガリーに渡り、1部リーグでプレーして3年目を迎えている。日本では分からなかった多くのことを知ることが出来た。私は日本体育大学の出身で、学生時代に多くのオリンピアンと接する機会があった。オリンピックでメダルを獲得されたキャリアを持つ先生にこんなことを言われたことがある。
「世界に勝つためには、先ず世界を知らなければならない」
 相手に勝とうとした時、その相手を知ることはスポーツに限らず、戦略上必要不可欠である。当然のことである。だが、日本と世界トップレベルの水球を比較した場合、あまりにかけ離れすぎていた。まだ選手として幼かった私にとって、世界の水球を知るということは、おとぎ話を読み空想の世界に胸を膨らませるようなものであった。
 スポーツの醍醐味とは何であろうか?これはどのレベルに限らず、「勝負に挑み、勝利すること」にあると私は考えている。運動会の徒競走、趣味のテニス、健康維持のために始めたマラソン、プロの水球など、どれも対戦相手に勝つことや、自分の持つ記録をコンマ1秒でも更新することにスポーツの旨味はある。
 出来うる限りを尽くしてもそれが達成出来ないことはある。敗れた時は自分自身を卑下することなく素直に勝者を讃えて、また自分を振り返り反省することで、成長と、次回の勝者と成りえる権利を手にする。
 このような考えが出来るようになってから、私は世界に挑み、世界のトッププレーヤーを目指すことを目標に掲げている。中途半端ではいけない。中途半端な行為は中途半端な結果しか生まず、それはスポーツ選手、しかも日の丸を胸につけたことがある選手のするべきことではない。競技者である以上、ナンバーワンの選手のみが知る栄光を勝ち取ることが、唯一無二の目標である。
 学生時代から心の中に秘めてはいたが、日本の水球界の現状、自分という選手のレベルから言い出せずにいたことである。それこそが中途半端であった。
 そして学生を卒業するとともに、ハンガリー語はもちろん話せず、英語すらままならない中、知人の伝を頼りにハンガリーへと渡ってきた。
 そして私は水球を通じてハンガリー人を知った。Szekesfehervarでプレーし始めた際、家族のように支えてくれたNemeth Laszloファミリー。監督と選手という関係以上に、時には兄弟、時には友人として大きな心の支えとなってくれたDabrowski Norbert。それぞれにハンガリー人に対する印象を持っておられると思うが、彼らと出会い過ごした時間はかけがえのないものであり、私にとってハンガリー人とは愛情と優しさに溢れた彼らのような人達である。
 ハンガリーの水球は2000年のシドニー、2004年のアテネ、2008年の北京とオリンピックで3連覇を成し遂げた。全員が同じメンバーではないが(水球は13人がメンバー登録できる)、6選手と監督は8年間変わらずに代表チームを牽引した。彼らは生きながら、現役選手でありながら既に伝説である。
 その全員ではないが、何人かの選手と直接対戦する機会もこれまであった。まだ、がっぷりよつのレベルには達していないが、多くのことを学び、ほんの僅かずつ近づいていると実感している。
 回り道はしたが、今こうして水球という世界で頂点を目指すことが出来ている。まだまだ道半ばではあるが、自分の想いを曲げずにこの道を選んだ自分を誇りに思いたい。そして名前を挙げればきりがないほど多くの人に支えて頂いていることに改めて感謝したい。ブログに日々の出来事を綴っている。是非、一度、ご覧いただきたい。http://waterpolonuma.jugem.jp/