私は40年ほど前から、ヨーロッパへ足繁く通っているにもかかわらず、ハンガリーを訪れたのは昨年の5月が初めてでした。私のヨーロッパへの興味、関心は料理と音楽で、どちらもライヴが命というのが何より魅力なのですが、そのパフォーマンスをする料理人、音楽家が私の情熱の対象と言ってよく、料理に関して言えば、料理人の情報が充実していたのが「ミシュラン」のレストランガイドで、それを頼りに出かけると、どうしてもフランス中心になってしまうのでした。
 もちろん、ハンガリーのフォアグラの質の高さ、トカイワインの甘美な魅力、近年ではマンガリッツァ豚の評判に至るまで、ハンガリーの食材について多少の知識はありましたが、グーヤッシュをはじめとするハンガリー料理は、ほとんどいただいたことがありませんでした。
 ところが、2年前に我が家に「異変」が起きました。高校2年生の娘がロータリークラブの交換留学生の試験に受かり、日本の親善大使の役割も背負って、ハンガリーに派遣されたのです。「ハンガリー」は娘の志望ではなく、ロータリークラブの委員会の皆さんが留学のために準備する半年間の様子を見て、それぞれの学生に相応しい派遣国を決めるというルールにのっとったものでした。たまたま、娘は小さい頃よりピアノを習っていたので、アメリカやアジアではなく、ヨーロッパでもクラシック音楽の豊かな国のハンガリーを選んで下さったのではないでしょうか。
 派遣国が決まった当初は、私も家内もハンガリーへ出かけたことがなかったために、言葉や治安についていらぬ心配をしたものでしたが「百聞は一見にしかず」で、娘はホームステイ先で大歓迎をうけたこともありますが、すぐにハンガリーの空気になじんで、インターネットの「スカイプ」(テレビ電話)では毎日「楽しい!」しか言わないほどでした。半年もすると、ハンガリー語で日常会話ができるようになり、10ヶ月後の昨年5月に私たちがハンガリーへ出かけると、買い物でも3人で出かけた旅先でも、言葉は驚くほどの上達ぶりでした。
 ワインの産地、エゲルやトカイのワイナリーを訪れた時など、ワイナリーのオーナーが留学生が日本人観光客のガイドとしてきたと思ったようでしたが、娘が自分はまだ高校生で「両親と一緒にきました」というと、とても驚きながら、グループの観光客には見せないワイン畑やとっておきのワインを試飲させてくださったりしました。この5月の旅行で、ハンガリー料理の一端にふれ、その魅力を知ることになりました。なにしろ、ヨーロッパに出かけても、パリを例外として、ひとつの都市に長く滞在するということがありませんでした。それが、ブダペストに5日間、エゲル、トカイへ旅行した2日間と、娘がいたおかげで計1週間もハンガリーに滞在したわけで、まずは「グーヤッシュ」とばかりに、毎日あちこちの店で注文しては食べました。
 当たり前のことですが、どこの店にもそこの店の味があり、野菜の滋味をじっくりと味わいながら、舌鼓を打っていました。それから、娘のホームステイ先の料理上手のお母さんが作ってくれた「果物のスープ」とジャムを使った伝統的なケーキは忘れ難い美味しさでした。「グーヤッシュ」も、このお母さんが作ってくれたものが一番だったかしらん。
 娘は1年後、留学を終えて帰ってきましたが、年明け早々の今年の正月、再びハンガリーへ旅立ちました。リスト音楽院を受験するためです。3月の卒業式だけは出席したいと日本へ一時帰国しましたが、すぐにブダペストに戻って受験の準備。娘は短期集中型のようで、運も手伝ってこの7月、ピアノ科に合格しました。
 もう、こうなると、親も「ハンガリー贔屓」にならざるを得ません。8月に入って、アパートやピアノを探す娘の手伝いを理由に、2度目のハンガリーです。観光客には違いないのですが、我が子がこれから何年間もお世話になると思うと、ブダペストの景色も違って見えてくるのですね。くさり橋を眺める夜景などは、ノスタルジーを感じるほどの懐かしさです。これを日本の仲間に伝えようと、毎日フェイスブックで、ハンガリーの様子を伝えました。
 ワインの名産地ヴィラーニでは「TINTA」(Gere Attila Pincészet)というワインに巡り合い、これは鰻の蒲焼きによく合うのではなかろうかと感じ、東京へ持って帰り、すぐにそれを実行してみると、面白いほどに素敵な相性を見せてくれました。また、コーヒー党の家内は、どこで飲んでもハンガリーのコーヒーは美味しいと言って、これまた土産に買うほどでした。これからは、ハンガリーの料理、食材の素晴らしさを伝えるお手伝いが少しでもできればいいなと考えております。

(やまもと・ますひろ 料理評論家)