私は最高学年の中学3年生だったからか、これまでよりも多く様々な活動に取り組み、新たな出来事に挑戦した。ブダペスト日本人学校で過ごした約8年間の中でも一番濃いものになった。とくに、一等星のように輝いている出来事が二つある。
 一つ目は、夏休み明けに開かれた、ハーフマラソンに参加したことである。昨年は、ハーフマラソンを友達と二人のリレーで走った。しかし、今年は21kmの道のりを一人で走った。最初はハーフマラソンに参加するかどうかで迷った。夏休みの間、私は全く走っておらず、体力が随分落ちていたからである。しかし、このマラソンを逃すと、もうハンガリーでのマラソンには参加できなくなる。最後に良い思い出を作ろうと21kmを走ることにした。まだ気温も高い中、残された期間、毎週土曜日と日曜日には十キロ近く走り続け、体力を取り戻すことができた。
 ハーフマラソンの当日、最初の6kmまでが長く、調子がでなかった。そこから後の17kmまでは体がなんとか調子を取り戻し、難なく走れた。ところが、その後に腰と足に痛みが走ってきた。その痛みのせいで、私は何度も立ち止まった。「あきらめたら何も得るものはない、まだ限界に達していない」、と自分を励まし再び走り始め、21kmをなんとか走り切った。タイムは1時間58分27秒だった。この挑戦は肉体の限界突破であったと思う。だからこそ、強く印象に残っている。
 二つ目は、運動会で赤組応援団長を務めたことである。とくに印象的だったのは応援練習である。練習の際、中学部であまり声をかけ合えていなかったり、話し合いが足りなかったり、教える進行状況が悪かったりしたからである。先生からもっと計画を立てた方が良いなどという注意を受けたこともたびたびあった。ちょうど、中三の道徳の授業でリーダーについて学んでいて、団長として自分が中学部をまとめきれていないから一回一回の練習が重くなるのだと気付いたことを覚えている。それからは毎朝話し合いを設けたり、毎晩練習計画を立てたりした。そのおかげで、進行状況や声かけが良くなった。しかし、これでうまく進むのかと不安が消える事はなく、夜も眠れない日があった。そんな不安を抱えつつも運動会までに完成させたのを覚えている。応援練習は精神的にこたえるものだったが、そのような困難があってこそ当日が輝かしいものになったのだと考える。ハーフマラソンが肉体の限界突破なら、応援の出来事は精神の限界突破だと言えるものであった。その過程で私は何度もネガティブ思考に陥った。しかしそれらは必ず最後に私に喜び、快感、そして笑顔をもたらしてくれた。
 今後私は、困難に出会っても、嫌な気持ちで受け止めるのではなく、真正面から全力でぶつかっていくようにしていきたい。困難というものは、つらいものであるが、その困難をどう解決していくかというのが人生を大きく左右すると私は考える。そして、このことを大切にし、あらゆる限界突破を目指してこれからの人生を良いものにしていきたい。

(しまと・たかふみ)