2009年春に高校を卒業し、同年秋にブダペストでの留学生活を始めてから早5年が経ちました。リスト音楽院での最初の1、2年はとにかく授業数が多く、日常の家事などと合わせて、日々やらなければいけないことに追われていたのを思い出します。週に2度のレッスンに加え、室内楽は常に2~4グループ掛け持ちし、その他にもオーケストラ、副科ピアノ、ソルフェージュ、和声楽、現代音楽、音楽史、民俗音楽、楽器学、音響学、哲学、美学、倫理、心理学、歴史などの科目が学士課程にて必修でした。日本語でも勉強したことのなかった科目がたくさんありましたから、授業の運び方から内容まで新しいことばかりでした。
 これらの授業を受けるうちに、日本で高校まで受けてきた教育と比べて私が感じたことは、自主性がとても大事にされていることです。発言すること、質問を抱くことをポジティブに捉えてくださる先生方、またそれを当たり前とする他のヨーロッパ諸国や南アメリカ出身のクラスメートとの交わりは、とても良い刺激を与えてくれました。入学した当時はまだ、学位取得の課程に在籍する外国人学生がそれほど多くなく、ハンガリー人とは分けられた「外国人クラス」の同学年クラスメートは、私を含め僅か4人でした。私達のための授業の9割は英語で行われましたが、3年目以降はハンガリー語での授業も加わりました。教授達の中には英語をあまり得意としない先生もいらっしゃいましたが、ためらうことなく大切なことを伝えようとしてくださる姿勢が印象的でした。修士課程に上がってから履修し始めた対位法のクラスでは、周りが皆ハンガリー人で、先生もあまり英語を話せないという状況でしたが、クラスメートも先生も私が理解できるようにいつも率先して助けてくれました。そんな中で、理解しなかった時には分かるまで質問をすること、文化の違いや言語の壁による誤解が生まれた時にも、言葉と気持ちによるコミュニケーションが唯一の解決法であること、などを学んだように思います。
 語学といえば、音楽は世界の共通語などと言われますが、人に何かを伝えるという点では、まさしく同じスキルが必要とされると感じます。文法の正確さ、強調されるべき箇所とおさまる部分のコントラスト、全体のまとまり(一貫性)、そして何より説得力が重要です。思えばここハンガリーにやって来た大きな理由は、日本の恩師を通じて出会ったリスト音楽院の教授が、高校生の私が漠然と求めていた新しい考え方や、音楽へのアプローチの仕方を示してくださったことでした。私が初めに留学を意識したきっかけはもうすこし早く、師事していた先生がハンガリーで20年間音楽家として生活されていたので、先生が経験したものを私も直に感じ取りたいと強く思うようになったことでした。
 ブダペストでの音楽体験は、私が期待していた以上に素晴らしいものです。練習時間は自分のやりくり次第でたっぷり取れます。それに豊かな色彩を加えてくれる環境、例えば、日本にあるのとは違った自然や芸術との身近な触れ合い、数え切れないほどの多彩な演奏会、そしてゆっくりと流れる時間などがあります。また、近隣諸国の著名な音楽家の公開レッスンを受ける機会があることも、地続きのヨーロッパならではの利点です。
 音楽の勉強のかたわら、出身国が様々な友人達との付き合いは、いつも楽しく気持ちをリフレッシュさせてくれます。時として、価値観や考え方の違いを感じることもありますが、それらは国籍に関係なく生まれるものですし、異文化間の交流はいつしか、人間同士の自然な交流となっていました。カフェで談笑したり、相談事をしたり、各自の「家庭の味」を持ち寄ったり、休暇にはハイキングやバラトン湖に出かけたり、また試験を終えた後にクラスメートと(厳しいことで有名な)先生も一緒にはめを外して皆酔っ払って帰ったり。懐かしい思い出がたくさんあります。
 そんな私のリスト音楽院での学生生活も、3年間の学士課程と2年間の修士課程を修了し、ひとつの締めくくりを迎えようとしています。5月に行われた卒業試験を兼ねたリサイタルでは、友人や知り合いに頼んでオーケストラを組み、私の大好きなドヴォルザークのチェロ協奏曲を40人以上の仲間と一緒に演奏することができました。皆それぞれの試験や演奏会を控えていますから、このような大編成のオーケストラを組むのは決して容易ではありませんでしたが、友人達がメンバー集めを手伝ってくれ、友人のみならず、今までは見ず知らずだったたくさんのハンガリー人学生が無償で手を貸してくれました。このような温かい人々との絆に支えられて卒業できることを、とても幸せに思います。
 今後はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者であるハンガリー人チェリストに教わり、さらなる研鑽を積みたいと思っています。また、ハンガリー政府によるStipendium Hungaricum奨学金を頂けることになったので、来学期から室内楽科の生徒としてリスト音楽院に在籍する予定です。今ある環境に甘んじることなく、音楽家として独り立ちできるよう、より一層努力していきたいと思います。

(うえだ・みずき)