カーロリ・ガーシュパール大学で、日本語日本文化学科修士課程1年に在学しています。日本語を勉強し始めて8年ほどになりますが、初対面の人に日本語・日本文化を専攻していると言うと、よく、「なぜ日本語?」、「難しすぎないですか?」などと質問されます。日本語の先生から、「どうして日本語に興味を持つようになったかと尋ねると、ほとんど学生はアニメがきっかけと答えます。ダーニエルさんはそうではなかったんですよね?」と言われました。「先生、ごめんなさい!実は僕もアニメだったんですけど…」。
 初めて日本文化と触れ合ったのは13年程前、テレビで「デジモン・アドベンチャー」というアニメシリーズを発見したときでした。まだ10歳ぐらいだった僕は、そのアニメが日本のものだとは全く知りませんでした。ポケモンと似て、いわゆる「選ばれし子供たち」がモンスターと一緒に戦っていくという物語です。子供のとき観たヨーロッパやアメリカのアニメと違い、デジモンの物語はより複雑で、登場人物の感情もヨーロッパのアニメと違いました。東京タワーをはじめ、東京を代表する建物や風景が数多く描かれており、大人になって初めてこれらの風景を生で見たときは感無量の思いでした。デジモンを手始めに、様々なアニメを観ましたが、そのほとんどを日本語音声で観たので日本語にも興味が沸きました。インターネットで日本について検索し、アニメ以外にも、日本史や他の日本文化にも深く興味を持つようになりました。
 2007年に、僕の住んでいる町で日本語を教えている先生を見つけました。それまで勉強したドイツ語や英語と比べ、日本語は全く違い、なにかエキゾチックな言語でした。特に漢字に魅了されました。熱心に勉強し、翌年には日本語能力試験3級に合格しました。
 高校を卒業したとき、日本語日本文化を専攻する決意をしてカーロリ大学に入学しました。そこで日本に関する知識をさらに広げることができました。教師と学生の関心は僕と同じく「日本」にありました。高校とは雰囲気が違い、まるで別世界のようでした。入学した年に、改定された能力試験のN3レベルに合格し、その後すぐに大学の仲間たちとN2への準備も始めました。
 日本を旅行する夢が実現したのは2013年の秋でした。2013年、文部科学省の「日本語・日本文化研修留学プログラム」の試験に合格して日本に、留学できることになりました。留学先は大阪大学でした。出発前は非常に心配しました。「日本での生活に慣れられるかな?日本料理は大丈夫かな?友達を作れるかな?人生初の1人暮らし、人生初の飛行機、人生初のアジア・日本ではどうなるのかな?」。しかし、日本での生活にあっという間に慣れてしまい、何の問題もありませんでした。日本料理が大好きになり、たこ焼きは恋しいです。阪大にハンガリー語学科があり、友達を多く作ることができました。
 もちろん、留学という貴重な機会を得たことで、日本についての知識や日本への理解も深めることができました。本語で授業を受け、日本語能力も上達し、2014年夏、ついにN1試験に合格できる程までになりました。日本にいた1年間、日本語以外に研究することができました。先生の指導下で、鎌倉時代の武家法について研究し、ハンガリーに戻ってから日本での研究にもとづく論文をコンクールに提出しました。
 休みの間はたくさん旅行しました。奨学金を貯金して、5日間JRの普通列車に乗り放題の青春18切符を存分に活用し、1年間で長崎から鹿児島まで九州を回り、四国の4県を訪ね、東京・関東まで行き、夏には韓国と沖縄にも行くことができました。いつも一番安い宿を必死に探しました。そのおかげで、いろいろな経験を重ねられました。ネットカフェやカプセルホテルに泊まりました。東京に行ったとき、カウチサーフィンというサービスを使い、東京に住んでいる日本人の若者の所に泊まらせてもらいました。また、東京や沖縄に行ったときは、日本に住んでいるハンガリー人の所にも泊まらせてもらいました。本当に充実した1年でした。
 ハンガリーに戻り、3年生になりました。授業のない時間を使って、日本語通訳・翻訳ができる研修の機会や、日本語が練習できるサークルを探しました。ある日系企業で通訳のアルバイトの募集があり、すぐに応募しました。今もその企業で通訳をしています。専門用語が多すぎて半年経っても分からない単語が出ますが、非常に面白い仕事です。「エアコン」というあだ名が付いているサークルのおかげで、新しい人たちに出会え、大切な友達を作ることができました。ハンガリー人学生と当地に留学している日本人とで、遠足やイベントで楽しく過ごしました。夏に日本人の留学生が帰ったとき、みんな淋しくて悲しくてたまりませんでした。9月から新しく来た留学生も多く参加しています。
 デジモンを初めて観てからすでに13年程経ちました。しかし、僕の日本文化や日本語への愛はより強くなったと感じています。これからも、日本への理解を深めるために、そして日本語の上達のために、できるかぎり努力したいと思います。

(ホルノシュ・ダーニエル)