子供のときから小説が大好きだった私が、大学院の日本学科に入学したとき、文学を専攻として選ぶのは当然のことでした。小さい頃から心を癒してくれたのは、やはり本でした。「本の虫」と言われるほどではなかったのですが、今いる現実とは全く違う世界に入り込んで、全く違う人物と一緒になって、共に笑ったり泣いたりするのは、最高に楽しい時間でした。6歳のときに初めて読んだ本のタイトルと内容は、今もはっきりと覚えています。ハンガリーの有名な児童文学作家の一人であるバーリント・アーグネシュ(1922~2008)が20歳の時に書いたネコとハリネズミの話「Gücülke és cimborá(i グツルケとその仲間たち)」でした。これは私にとって初めての読書体験でした。
 大学に入るまで、ハンガリーの小説の他、ロシアやフランス、そしてイギリスやアメリカの様々な作家の作品をたくさん読みましたが、日本の文学と出会う機会はありませんでした。当時のデブレツェンの図書館や本屋さんには、日本の小説が置いていなかったように記憶しています。初めて日本の小説を手にしたのは、ブダペストに引越し、大学に通い始めたときでした。それは川端康成の『古都』(1962)のハンガリー語訳でした。ずっと楽しみにしていた「日本の小説」だったのですが、正直に言うと、楽しく読むことが出来ませんでした。むしろ、少しがっかりしたと言った方がその時の気持ちに近いです。ノーベル賞を受賞した作家の作品についてこんなめちゃくちゃなことを書くのはどういうことなの?と思われるかもしれませんが、やはり楽しく読んだとはどうしても言えません。それは、なぜだったのでしょうか。
 その理由は翻訳にありました。ドイツ語からの間接訳であることもありますが、ハンガリー人の耳にはどうしても不自然に聞こえるハンガリー語で書かれている物語を楽しく読むことは、当然できないわけです。日本語を話せるようになってから、このハンガリー語のテクストが日本語の構造と論理を反映していることが分かりましたが、それでも自然に物語の世界に入り込むことは出来ませんでした。ちょっと残念な話です。しかし、1960年代の京都を舞台にした、生き別れになった双子の姉妹の数奇な運命を描いたこの『古都』が、実はとても魅力的な作品であることには、初めて読んだときにも気がつきました。それまで読んだ作品とは別の魅力が『古都』にはありました。ドキドキ感を与えてくれるアクションというよりは、消えかけている世界の有様を一枚の写真のようにそっと写し出すノスタルジーに似た感情が、作品全体に漂っています。欧米の文学を読んで育った私にとっては、まるで新しい体験でした。これは私が日本の文学に対して興味を持つようになったきっかけであり、また、現在取り組んでいる博士論文のテーマにもつながる読書体験でした。
 私は現在、川端康成とはやや遠いと思われる村上春樹の文学について博士論文を書いていますが、彼の作品もまた「ノスタルジー」が伝わってくる点では、川端の小説と一致しています。生き霊や幽霊などを登場させ、『雨月物語』や『源氏物語』の世界を想起させる『海辺のカフカ』や、高度成長期の神話とも読める『1Q84』などの村上の小説は、現在の日本の文化的多様性、東洋と西洋の融合を最もリアルに表現しているものではないかと思います。
 小説、そして文学そのものはある種の快楽を与えてくれる、ただの遊びのようなものに見えるかもしれませんが、ある特定の民族や国、そしてその文化や考え方を理解するためのキーとして重要な役割を果たしています。文学は書くことも読むことも、けっして、個人的なものではありません。それぞれの作品の背景には、作者の個人的な歴史とともに、その作者が生まれ育った環境、つまり大文字の「歴史」が存在しています。
 皆さんも良くご存知と思いますが、去年の夏に日本の文部科学省が打ち出した「文学部や社会学部など人文社会系の学部と大学院について、社会に必要とされる人材を育てられていなければ廃止を検討せよ」という政策は、大きな問題になりました。確かに、私たち文学研究者がやっていることは、例えばエンジニアや医者などといった、「社会に必要とされる人材」とはかなり異質であることに違いありません。しかし、それは必ずしも無駄なことであるわけではないのです。優れた文学作品は、読者を別の世界に引き込む力を持っていると同時に、私たちの視野を広げてくれる機能を有しているのではないかと、私は思います。
 私にとって日本の小説を読むことは、遊びである一方、日本に暮らしていてさえも時々遠くに感じられるこの国を理解するための有意義な道具の一つもなっています。そして、これはロマンチシズムかもしれませんが、このように文学研究(あるいは翻訳作業)を通して、知らない世界を身近に感じさせ、他人に対する理解力を深めることが出来るのであれば、私たちのやっている仕事も決して無意味ではないでしょう。
 皆さんも機会があれば、是非ハンガリー、そして世界のいろいろな小説を読んでみてください。日本の詩人・児童文学作家、長田弘氏(1939~2015)が言ったように、「読むことは旅をすること」でもあるのですから。

(ダルミ・カタリン 京都大学)