8月より始まったハンガリーへの滞在も早いもので残り3日となり、今家の片付けをしたり、お世話になった方への挨拶をしながら、ハンガリーでの生活を回想しています。
 私の滞在は半年と、おそらくハンガリーに留学される人のなかで最も短いと思いますが、短いながらもリスト音楽院の柔軟な教育体制に支えられて、充実した半年にすることが出来たと思っています。充実した生活が送られたのも、滞在中ずっと大切にしていた「まずは伝えること、やってみること」という意識による部分が大きかったのではないかと考えています。それはハンガリー生活での最初の一歩までをすべてお世話して下さった、エージェントの女性から頂いたものでした。

 こちらでは、個人の意志が日本で生活している以上に尊重されます。それには、伝え方の工夫も必要ですが、レッスンを聴講したい、あなたのレッスンを受けたい、こんなコンサートがしたいという自分の意志をはっきりと伝えたとき、驚くべき反応の大きさで返ってくるのです。その場で叶うことが出来なかったとしても、新たなチャンスをくれたり、他の先生を紹介してくれたりと、何かが進むのです。私はそんな活発なコミュニケーションが楽しくなり、ハンガリーでの全ての一瞬が大事なものに思えました。ある日、練習室に次のレッスンのために入ってみえたチェロの先生と、しばらく日本での話が弾むうちにレッスンを聴講させてもらえることになり、レッスンにいらした憧れのコレペティトゥーアの先生に後日レッスンを受けることが出来ました。またある日はマスタークラスで素晴らしい演奏を聞き、自分とは正反対の解釈をしていた学生に感銘を受けた旨を伝えたら、お互いに弾きあおうと誘ってくれました。私が選択したパートタイムコースは、レッスン受講生ではありますが、レッスン以外にも大学内は様々なチャンスを秘めていることを再確認しました。
 それはレッスン中での一瞬の中にもあります。私にレッスンを施して下さったファルヴァイ・カタリン先生には、decidion(決断)することを常に求められました。自分はやりたい音楽はあっても全ての音色まで今まで決断出来ていたのか、本番中にミスを恐れたときに、それは音楽から意識が離れた瞬間なのではないか。もっと自分の気持ちに正直に敏感になろう、練習からも本番の緊張感を見出そうと考えるようになりました。朝から大学に練習に行き、疲れたら録音を聞きながら楽譜を見て勉強し、レッスンには本番のつもりで臨み、がむしゃらに毎日生活していくうちに、決断して音を出すということがどういうことなのか、何ヶ月か経った今少しずつわかってきた気がします。
 私はハンガリー人作曲家であるコダーイやバルトークの作品がとても好きで、留学がもし叶うならばハンガリーに行きたい、音楽に描かれる風景は、それはどんなものなのかとずっと興味がありました。実際に見たハンガリーの街の美しさには、息を呑みました。百年を超える歴史を秘めた建物、澄んだ空気、そしてハンガリー語のリズム感。全てが新鮮で、いつも練習後に散歩をするのが楽しみでした。今取り組んでいるバルトークのピアノ協奏曲第3番は、ハンガリーの風景を詳細に映し出していて、これから帰っても、日本からハンガリーを懐かしむことが出来そうです。特に第2楽章のバルトークが公園を歩きながら鳥の鳴き声を聴くシーンは、実際に演奏会で聴けたときには、頭に浮かぶ家の近くの落葉がきれいな公園の風景も相まって、ハンガリーに来られて本当に良かったと涙しました。

 留学は慣れた頃に帰らなければならないとは、本当にこのことだと思います。しかし、この湧き上がってきた自分の課題と成果を、これからの日本の音楽生活でまずは一生懸命アウトプットしていくのもまた良いのかなと考えています。
 留学中はたくさんの方に支えられて、本当に感謝してもしきれません。そして初めて一人になって自分と向き合って、改めて今まで多くの方に助けて頂いて今の自分があるのだと強く感じました。これからの人生では、それによって得ることが出来た多くの経験を、伝えていけたらと私は思っています。

(かとう・まり)