15年ぶりの開催となった国際指揮者コンクール、「マエストロ・ショルティ国際指揮者コンクール」のファイナリストとなった原口祥司さん。10月にブダペスト行われた書類審査と第1次予選を通過し、場所を移してペーチで行われた第2次予選を見事通過し、12月に再びペーチで行われた最終6名(2次予選通過5名プラス視聴者推薦1名を含めた6名)によるファイナルに進みました。ハンガリー在住5年目、リスト音楽院留学・卒業を経ての今回の挑戦を、ペーチ市よりブダペストへ帰られてすぐにインタビューをさせて頂きました。

桑名:今回の出場きっかけは?
原口:昨年(2016年)バルトーク音楽祭に参加した際に、今回のコンクールの主催者でもあるフィルハーモニアから2017年にハンガリーで指揮者コンクールが開催されるので是非参加しないかとお誘いを受けたことがきっかけでした。その後、参加要項を頂き5月申請し7月に1次審査結果が届いてから7月.12月15日のファイナル(本選)まで約5か月半かけて課題曲全28曲を準備しました。今回約40カ国から186名(書類審査段階)の参加者と共にスタートし、ファイナルの6名まで挑みました。

桑名:「マエストロ・ショルティ国際指揮者コンクール」という名称では第1回となりますが、久々のハンガリーでの指揮者コンクールの誘いを受けた時はどう感じましたか。
原口:ハンガリーで開催されるのは約15年ぶり。43年前に第1回が開催された時の優勝者が皆さんもご存知の小林研一郎さんでした。小林先生はそこから一気に国内外で知られる指揮者としての地位を得られたことを知っていたので、是非、自分も先生の後を追いたいという気持ちがありましたので今回チャレンジしました。

桑名:約半年間という、とっても珍しい長期戦の国際コンクールだったと思うのですが。
原口:ありえない・・・(笑)

桑名:そのありえない中(笑)、ありえない課題曲数かと思うのですが、どのように選曲されたのでしょうか。
原口:自分で選曲することはできず全て抽選で、しかも前日に知らされることになりました。
 夜8時に抽選が始まって、翌日から審査が始まるという形でしたので、抽選まではその審査ごとに出ていた約8曲程度の課題曲すべてを学ぶ必要がありました。例えば1次審査ではハンガリー国立オペラ座オーケストラがエルケル劇場で演奏を担当しましたが、オペラの序曲などが課題になっていました。1人15分間と決められた短い時間の中で、次のラウンドに行けるか行けないかが決まってしまいました。第1次・2次審査までは本当に厳しいステージだったのではないかと思います。

桑名:その短い時間で、どうパフォーマンスしていくのか心がけたことは何でしょうか。
原口:1次審査はオペラの序曲が中心でしたので、その曲を学ぶのではなく、その曲が使われているオペラがどのような物語で、どの部分に使われていて、どのような歌詞が付いているのかなども含めて準備をしました。実際にその内容を試されている部分もありましたし、国立オペラ座のオーケストラは指揮の判断を即座に感じ取りますので、何が良くて何が悪いのかと、ある意味オーケストラメンバーが審査員と言っても過言ではなかったかと思います。
 演奏後とても手ごたえがありましたし、自分のやりたいことに対してオーケストラが反応して返してくれたことがとても嬉しかった。それがあって2次審査へと駒を進めたんだと思います。

桑名:1次審査通過から2次審査まではどんな風に進んでいったのでしょうか。
原口:1次審査結果を受けて嬉しさもつかの間、すぐに2次審査の課題曲抽選が始まりました。今度は場所もブダペスト市からペーチ市に移動したので、気持ちを切り替えて移動の間も課題曲の準備に取り掛かっていました。課題曲はアリアもしくはコンチェルト(協奏曲)、そして規模の大きくない交響曲を、2次審査に駒を進めた15名が抽選で選曲しました。私はショパンのピアノ協奏曲へ短調2楽章とシューベルトの交響曲第5番を引きました。ショパンの2楽章は協奏曲とはいえアリア的で、とにかく Recitativo(レチタティーヴォ、話すように歌う)楽曲とも言え、表現するには難易度が高いものだったので、「何て曲を引いてしまったんだ」と思いました。他の交響曲は経験があったのですが、シューベルトの交響曲は初めて挑戦する曲でもあったので気が引き締まる思いでした。2次予選のオーケストラはジュール市交響楽団が担当してくれましたが、ジュールへは今まで何度もコンサート通いましたから、どういう風な響きのオーケストラなのかを理解していましたので準備は出来ていました。

桑名:そしていよいよファイナリストとして挑んだことはなんでしょう。
原口:まず、ファイナルの抽選で課題曲6曲中バルトーク「舞踏組曲」を引きました。6曲の中でも一番やってみたいと思ってはいましたが、一番難しい曲だとわかっていたので、「まさかここで引いてしまったか」という思いでした。今回チャレンジを共有してきたファイナリストの指揮者達からもアドバイスをもらい、リスト音楽院指揮科時代からの仲間からもどう挑めばよいかというエールを頂きました。もともとハンガリーに留学するきっかけとなったのがバルトークとコダーイ作品を習得することからでした。今日までバルトークの住んでいた14か所の家を周ってみたり、博物館や研究所に足を運び、自筆譜を閲覧させて頂いたり、ナジセントミクローシュ(現在のルーマニア)のバルトーク生家を訪問してみたりと、実際にゆかりの地に足を運びながらバルトークがいつ、どこで、どの作品を、どの民謡や景色を取り入れて作ったのかなどを肌で感じながら情報収集してきたので、この経験をフルに出して当てて行こうと取り組んでいきました。「舞踏組曲」は仕組みが複雑になっていて、ハーモニー同士が重なって出来る「歪み」で出来る緊張感が常に存在していて非常に難しい。さらに、これを表現するには、それらをかなり理解し、合わせていかないと効果が出てこないものだと感じていました。今の自分が出来る精一杯の理解力で、緊張感をもって臨みました。ファイナルのオーケストラはペーチ市のパンノン交響楽団が担当してくれました。前日のリハーサルでの修正時間なども含め、与えられた時間の中で出来ることは限られていますので、それをどうステージ上で作業していくかを考える時間が必要でした。
 コンクール時のオーケストラの響きは面白いもので、指揮者が順番にある一定の時間を振っていくので、振りはじめた時には前の指揮者の音がするんです。なるべく早い段階で自分の音もしくは作曲家の音に作り上げていく所に、自身の技術やスキルが必要となっていく訳ですが、前半は思っている方向に近づけていく作業、後半は自分の思う方向に変化させていくことが出来ました。バルトークの作品は今まで何度かやったことがあるのですが、冷静さを保ってないと演奏できないようにバルトークが書いると承知していたので、そこだけは冷静でいることが出来たのではないかと思います。
 審査終了後、審査委員長でもあったウトゥヴシュ・ペーテル先生から、「まるで侍の如く取り組んでいましたね。曲はenemy(敵)ではないよ。緊張のみならず、やはりくつろげる場所も貴方の音楽から感じられると更に良かったと思う」というもったいない位の誉め言葉をいただきました。「今の自分をクリアに見られていたな」と感じ取ることが出来ました。そして自分の課題ともなる重要な指摘だなと思いました。本当にこのようにコメントして頂き有難かったです。

桑名:バルトーク作品の難しさとは。
原口:バルトーク自身が、実際にある出版社宛に手紙を書いているんです。 「私の作品は、良いオーケストラと良い指揮者でないと良い演奏にはならないのです。ですから、良いオーケストラ、良い指揮者でければ、私の作品を演奏しないでください」、と。 でもこれが、全てなんだと思います。

桑名:ほかの審査員からコメントなどは頂くことは出来たのでしょうか。
原口:これも面白い部分だと思うのですが、テレビ放送が企画されていたため、コンクール全体がオーデション番組のような形で進行しました。1・2次審査共に自分のステージが終わった瞬間、会場の皆さんの前で、審査員からコメントを頂くというものでした。5年前にハンガリーに来た時から注目しているハンガリー人指揮者ケシェヤーク・ゲルゲイ(Kessely.k Gergely)氏が今回の審査員の中にいることがとても嬉しかった。好きな指揮者に自分の音楽表現がどう伝わってくれるのかと思うと、もちろんコンクールでもあるのですがチャンスでもあります。そのチャンスが生かせなかったという心配もありました。 ファイナルが終わってからですが、ケシェヤーク氏からとても嬉しい言葉を頂け、今後の可能性について話すことができ、そのような機会が得られたことに感謝しています。

桑名:結果がでるまではどのように過ごしていたのでしょうか。そして結果は。
原口:今回ありがたいことに、ファイナルリストとなったことで多くの方の応援を頂きました。決勝当日にはハンガリー留学している日本人学生、日本を含めた国外(ドイツ・イタリアなど)から30名位の応援してくれる仲間が駆けつけてくれました。出番が終わったらすぐに会場に行き、皆さんにお礼を伝えました。初対面の方もいらっしゃいましたので、とにかく感謝の気持ちを伝えました。結果はメディアも入っていた為、
掲示ではなくステージ上での授賞式となりました。
 入賞はなりませんでしたが、 Peter E.t.v.s Contemporary Music Foundationより特別賞受賞及びセミナー参加権利、そして副賞として2018-2019 年度のバルトーク音楽祭(ソンバトヘイ市)及びバルトーク・オペラフェスティバル(ミシュコルツ市)
への指揮者招聘権利を頂きました。バルトークを習得する為にハンガリーに留学した自分とっての最高の副賞となりました。今思えばファイナルでバルトークを引いた時から、バルトークが私に次の課題を与えてくれたような気がします。

桑名:原口さんにとって今回は指揮者人生の一つの通過点であると思いますが、選択した道が何故指揮者だったのか、そして今後の目標・予定などを聞かせてください。
原口:指揮者を目指したのは少し遅い時期からでした。当時まだ高校の教員でありましたが、現在の日本の師匠でもある下野竜也さんのコンサートを聴きに行き大変感銘と刺激を受け、直談判したのがきっかけです。音楽をさらに追及したいという気持ちが抑えられず、指揮者としての道を選びました。ハンガリーとの出会いは高校時代に吹奏楽部の演奏旅行でハンガリー(ブダペスト市、デブレツェン市、ケチケメート市)に演奏訪問しました。その時に、ハンガリー人の溢れすぎている温かい人間味に打たれ、いつかハンガリーで勉強したいなと考え始めました。
 音楽の教員時代には世界的にも有名なピアニストでもあったコチシュ・ゾルターン氏のバルトーク集のCDを良く聴いていました。なぜそうだったのかと言われると説明できないのですが、今思い返せば偶然が必然だったなと考え深いですね。そしてリスト音楽院指揮科に在籍し大学院過程を卒業しました。ここではハンガリーを代表する名指揮者メドヴェツキー・アーダーム先生との出会いが何よりも大きかったです。彼の許でもっともっと勉強したいこと大きな理由の一つですが、音楽院での指揮科のカリキュラムがとても充実していて、指揮者としての技術だけでなく指揮者として必要なスキルを様々な角度から学べたことに満足しています。
 活字にしてしまうと受け取りが様々になりますが、基本は「いい音楽家になりたい」です。引き続きバルトーク作品の研究はもちろん、両国の作曲家の描き伝えたいこと(作品)に対して正しい解釈と理解を経て表現出来るような指揮者でありたいと考えますし、日本とハンガリー両国の多くの作品を披露できるような環境を作っていけるように活動したいと思います。自分のモチベーションを高めて行くためにも、コンクールやセミナーなど参加出来るものには積極的にエントリーしていきたいと思っています。早速2018年には第2回アンタル・ドラティー指揮者コンクールがハンガリーで行われますので早速準備に取り掛かって行きます。
 また、バルトークがそうしたように、ハンガリーの地方に赴き、現地の人たちとふれあうことで、人間としての魅力も養いたいです。
(2017年12月18日)

(くわな・かずえ)