ハンガリーにお世話になり3年がたちました。本当にこの間には、たくさんの方のお世話になり、感謝の気持ちしかわいてきません。せっかくこの機会をいただきましたので、この場をお借りして、3年間で関わってくださったすべての方々にお礼を申し上げたいと思います。
 本当にありがとうございました。
 この3年間は、日本を天の上から見ている気持ちでした。親をなくした時、「お母さんは、天の上から見ていてくれるよね」という表現を使いながら、自分を慰めてきました。これは多くの人がやっていることだろうとは思います。ハンガリーに住んで、まさに自分がその天の上の心境でした。自分の存在しないところでも、ことがどんどん進んでいく感じが、まさにそれでした。娘に子が生まれたとか、引っ越したとかの話が伝えられてきても指一本だせるわけでなく、息子に彼女ができたと言われても、その彼女に会えるわけでもなかったからです。そんな3年間が過ぎ、日本に帰国することになります。  これから帰る日本は大きな転換点を迎えている気がします。国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の立場から、米国を始めとする関係国と連携しながら、地域及び国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に寄与するとの理念の下、国が動き出したからです。確かに、世界の情勢は緊迫の一途をたどっています。北朝鮮の脅威は増すばかりですし、ハンガリーのクリスマスマーケット一つとっても、昨年までは地下鉄の駅からヴルシュマルティ広場ま
でのDeak Ferenc utcaにもたくさんのお店が出ていたのに、トラックによるテロを警戒して、道にブロックを設置し、広場にお店を固める方法に切り替えていました。アメリカ大統領がエルサレムを首都に認定する大統領令に署名したこのパンドラの箱を開けてしまう行為は、宗教間の対立を煽るような結果しかもたらさないことは明らかです。こういった中で、国民の安全と生命を守るためには、日本も国際的な貢献をしていなくてはならないということで、従来に比べれば活発に安保法制や憲法改正の論議がされています。  私が小・中学生の頃の恩師たちは、太平洋戦争を悔いて反省し、もう二度と、そんな悲しいことが起こらないようにと1951年に出した「教え子を戦場に送るな。」の運動方針の下、反戦平和への活動に取り組んでいました。私が教員になった頃もこのスローガンが連綿として受け継がれていました。親世代の反戦意識、社会主義国との鬩ぎ合いの中、資本主義国の一員として日本をつなぎとめておきたいアメリカの思惑などがあり、その傘の下で生きられた幸運に支えられ、我々の世代は、1人の例外もなく、戦争で命を落とさず定年を迎えられました。
 ただ今や日本一国が反戦と叫んでも情勢はそれを許しておかないという認識で、政府の方針は、戦争を抑止するための武力、つまり戦争抑止のための武力行使(戦争)ならやむなしという方向に傾いています。もちろん集団的自衛権を容認して即戦争というわけでないことは誰にもわかっています。
 では、今、我々はどうすればいいのでしょう。一つ言えることは、歴史上のいかなる戦争にも共通していた理不尽を受け入れる覚悟をすることが絶対に必要だということです。子どもが親より先になくなる理不尽、ある人は戦場に立たされているのに普通に生活できている人がいる理不尽、亡くなる者と生き残る者がでる理不尽、安全な場所で作戦を決め命令した人間は生きているのに命令された人間が命をとられる理不尽、人を殺すのもこの世界を維持するためにやむをえないと自分に言い聞かせなくてはいけない理不尽、自分のかわりに誰かが死ぬ理不尽、たくさんの命のおかげでなった成功なのにそれを自分の手柄のように語る人間・集団が出る理不尽などを受け入れる覚悟がいるのです。祖父母、父母の世代は、「国体護持」の名の下、この理不尽を受け入れてきました。我々の世代は、全くこの覚悟はいりませんでした。
 「23」「33」これは、イラク紛争の時のポーランド・イタリアの兵士の犠牲者数です。0との違いは無限大です。
 孫ができたばかりだというのに、「教え子を戦場に送るな。」が夢幻になりつつある今、「積極的平和外交」の名の下で、これからの子たちにこの理不尽を受け入れるための覚悟をさせることが教師の使命になっていくかと思うと悲しいです。
 そんな日本に帰国します。
(さとう・かずひこ)