私は子どものころからずっと日本の文化に対して強い興味を持っていたが、同時に不思議で怖い話に対しても興味があり、日本文化におけるいわゆる幽霊と、自分の出身国であるハンガリーにおける伝統的な怖い魔女を比較すると、興味深いのではないかと思っていた。だから、ここでは日本の天神様やハンガリーの「トゥンデール・セープアッソニ」という魔女について書くことにした。
 いわゆる「幽霊」といえば、信じる人もいれば、信じない人もいる。まず「幽霊」の定義を少し明らかにしよう。幽霊とはゴースト、あるいはファントムのことである。つまり、亡くなった人の魂だ。日本の古い信仰によると、それぞれの人には魂がある。しかし、亡くなったときには魂は消えずに肉体から離れたり、死後も存続したりする。そして、暴力的な死亡、殺人や自殺などの場合は、魂は幽霊となり、私たち人間の世界に戻ってきてうろついたりすると思われている。さらに、人がちょうど亡くなった瞬間に嫉妬、または憎しみを感じていたという場合にも、魂は幽霊となってしまうと言われている。現れる場所は、墓場や、殺された、あるいは亡くなった場所、橋や城などである。
 日本の幽霊は、三角の白紙でできたいわゆる「ぬかえぼし」をつけ、白い着物のような服を着ているが、西洋の信仰によると、ゴーストは殺された姿のままで現れる。また、日本文化における幽霊の基本的な特徴の一つは、脚がないということである。つまり、日本の幽霊は歩くのではなく、浮かんでいる姿で現れるという。一方、西洋の信仰では、ゴーストは普通に歩くことが多いと言われている。
 日本の幽霊は種類がかなり多いが、ここでは怨霊という種類に焦点を当てる。怨霊とは、恨みを持ち、たたりをおよぼしたりする悪霊のことであり、生きている人に災いを与えるとして恐れられている。皆さんは、菅原道真の名前を聞くと、何を頭に思い浮かべるだろうか。菅原道真は天神様と呼ばれているが、怨霊でもある。道真は平安時代の優秀な学者や政治家などであったのが、道真のことをよく思わない人の陰謀によって地位を失ってしまい、京都から九州に左遷された。というわけで、道真は京都に戻れず、失意のまま亡くなってしまった。それから、さまざまな災害や天変地異が起き、道真の怨霊の仕業とされるようになった。だから、道真のたたりを鎮めるために、天皇が京都に道真の神社を造り、道真をいわゆる天神様としてまつるようになった。今でも数多くの受験生は道真の神社に行って合格を祈る。
 ハンガリーの信仰についていえば、幽霊、すなわちゴーストは存在しないとされている一方、民間伝承に魔女が何人か出てくる。一番有名な魔女は誰かというと、おそらく「トゥンデール・セープアッソニ」という魔女だろう。「トゥンデール」という言葉を日本語に訳すと、妖精となり、「セープアッソニ」を訳すと、きれいな婦人となる。つまり、きれいな婦人の姿で現れる妖精のことなのである。「トゥンデール・セープアッソニ」は肌も長い髪もつやつやで、踊ったり、歌ったり、湖を泳いだりする姿で見られる女性である。一人きりではなく、集団で現れることが多いと言われている。
 いたずらが好きで、男性を誘惑したり、馬を連れ去ったり、二つの家族の赤ちゃんを交換したりすることで知られている。それ以外にもいろいろないたずらをする。例えば、人に病気をもたらしたり、危害を及ぼしたりする。現れる場所は、人通りが少ない小道、橋や湖畔などであり、ばったり出会わないように、こういった場所を避けた方がいいと言われている。「トゥンデール・セープアッソニ」の外見と性格がかなり対照的であるという点から考えると、なぜ魔女とされているかすぐわかるはずである。それは、外見は非常にきれいで穏やかである一方、悪事を働く、ひねくれた性格の女性だからである。
 このように、日本とハンガリーの民間伝承にはかなり違う存在が見られるということは面白く、また、文化や考え方の違いも見られると私は思う。だから、近い将来にこの課題を研究することによって、知識を深めたいと思う。

(ガウランド・ロクサナ)