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日本人学校補習校その他日本語教 育
 
     
 
 
 
ブ ダペスト日本人学校
 

「子どもたちを目標に!」
澤田 千浩


 
 7月のある日、女房からマラソン大会への参加申し込みの勧誘が あった。ここ最近、特に思っていたのが在ハンガリー日本人のマラソン大会への参加率が、異様に高いことだったが、まさか、自分も参加することになろうとは 考えてもいなかった。高校以来のマラソン大会、事前に1度、マルギットで練習して大会に臨んだ。
 
 当日、天気は晴れ。気温は高くもなく、低くもなく、絶好の日 和。スタートラインに立ち、他のランナーとともに号砲を待った。スタートして直ぐに脚の動きが鈍くなってきた。アスファルトの硬い路面も影響したかもしれ ないが、やはり、たった一度の練習では、何の効果もなかったようだ。「歩きたい」「でもプライド(?)が許さない」の葛藤で、苦しみながらも、何とか歩か ずに走り続け、およそ1.5キロ地点で長男をパス、その後、2キロ地点で次男の背中を見つけたが、それが最後だった。
 
 結局、体力の差を思い知らされることになった。彼らは、これか らどんどん体力を付けていくであろうし、
自分は何もしなければ衰えていく一方である。これを良い機会に体力、持久力を付けてもう一度大会に参加し、子供たちよりも先にゴールラインを切る、まず は、これを目標にしたい。
 
 

「マラソンを通じて知った喜び」
江森 雅美

 
 家族4人で参加した今回のマラソン大会、同じ事にチャレンジす る、我が家には今まで無い事でした。主人にとっては子供と走る始めてのマラソンです。大会の前、話すことと言えばマラソンの事。
  「1.2.1.2.でゆっくり走るんだよ。」
  「お水持って走ったほうが良いかな?」
  「パパ、転ばないでね。」「ママは誰と走るの?」
  こんな会話を朝食を取りながら良くしていました。
 
 思い起こせば昨年の春、マラソンリレーに出場する娘の伴走で参 加してから、私にとって6度目の大会。回を重ねるたびに楽しんで走る余裕が出てきました。春から秋にかけて、楽しみな行事の一になっています。
 
 このブダペストの素晴らしい風景の中を走ることの楽しさ、そし て今回、途中で腹痛を訴えながらも完走した頑張り屋の娘の横で走れた事は、私の宝物です。子供達と一つの事を一緒に頑張る喜びを、マラソンを通じて知る事 が出来ました。これからも続けて行きたいと思います。
 
 

ナイキブダペストマラソンに参加して
小林 律子

 
 9月6日(日)主人、小学校1年生・3年生の子供達と私の家族 4人で健康のためにも少し運動をやろうと安易な気持ちで今回ナイキマラソンに参加しました。初めての参加です。場所は市民公園。マラソンと言っても距離は たった3.5kmと短い距離のコースです。朝市民公園に到着すると既に多くのランナーがおりゼッケンをつけ準備運動をし、スタートを今か今かと待ちわびて いました。又、周りでは派手に音楽を鳴らしたりパフォーマンスがあったりテレビ局がインタビューしてたりとスタート前に盛大な盛り上がりをみせ熱気に溢れ ていました。私はもっとこじんまりとした大会かと思っていたので少し圧倒されました。ブダペストでこんなに多くの人々が走る事に興味があるとは全然思って なかったので少し驚かされました。やはりどこの国でも走る事が好きな人は多いんだと思いました。
 
 さぁ時間がきたところで私達3.5kmコース組のスタートで す。走り始めて大通りから英雄広場を横目に公園内へ走り込みました。ブダペストの風を切りながら周りにはまだ青々とした葉をつけた樹々がそびえ、木漏れ日 の中を走り抜ける気分は本当に爽快です。しかし、半分程の距離を走ったところでじわじわと汗も多くなり息も上がってきて足も前に出なくなってきました。 えっ?まだ半分しか走ってないのに?と思いながら前半の爽快な気分とはうって変って後半は非常につらく長い距離に感じました。又、まだ小学校の低学年の子 供達には負けないつもりでいましたが、途中で抜かれ追いつく事も出来ず結局完走はしましたが家族の中で私はびりっけつでした。日頃全く運動をしていない私 にとってはたった3.5kmとはいえ結構きついものとなりました。案の定次の日からは体中の筋肉が悲鳴を上げたのは言うまでもありません。少しの距離とは いえ事前の慣らし運転が不足してたようです。次回はゴールまで爽快な気分で走れるようにしたいと思いました。
 
 

家族をつなぐ一歩  
西村 智美

 昨年のナイキブダペストマラソンが、私達親子の初めてのレース でした。
運動不足解消と子供達に体力をつけたいと参加したものの、
予想以上に体力のない我が子に唖然。
このままではいけないと、練習も私ばかり熱が入り、
子供達の気持ちを聞く余裕はなかった。
その結果、大会途中、長女は走るのがつらいと、棄権してしまう。
  距離が問題だったのではなく、娘達を励まし、一緒に頑張ろう!という
私の気持ちが欠けていた。母親失格だ。
レースの後は私の方が落ち込んだ。
  その後のレースから私は、最後に走るわが子の背中につくことにした。
一人じゃない、一緒に頑張ろう!と。
 
今年のレースは、主人と5歳の娘も参加。
皆で完走。それが目標。決して止まらずに、自分のペースで走り切ろうと。
  昨年挫折した長女は、友達と一緒に走り、私達家族の中で、最初にゴールした。
全員笑顔のゴール。家族と共に一歩前進できた気持ち。
次の一歩もまた娘達と一緒に頑張りたい。
 
 

日本人学校運動会
赤組団長 日本人学校中学部三年 橋本 直樹

 
 運動会の準備が始まり、団長を決める日、僕は迷っていました。 しかし、自分がするしかないだろうと思い、思い切って手を挙げてみました。少し恥ずかしいという気持ちもありましたが、勇気を持って手を挙げることができ ました。
  でも、九月になり、運動会の練習が本格的に動き始めても、やはり自分は取り残されていました。団長として何をすればいいのかわからず、周りの人に頼ること しかできませんでした。だからこそ、僕は自分にできることを探し続け、考えた末に見つけたことは「やる気を見せる」ということでした。僕も、正直言うと、 みんなが思っているように、練習はめんどくさくて,やりたくなくて、恥ずかしいという考えを持っていました。けれどぼくはそういう気持ちを出さないように しました。練習が終わったあとの休み時間には、あまり人がいないところで「疲れた―!」と思いっきり叫ぶこともありました。でも、どんなに足や体が疲れて いても、練習が始まったら、やるぞと気持ちを入れ替えました。僕が前に立ち、堂々としていればみんなもついてきてくれると信じ、行動しました。みんなは爆 発的な元気力を持ち、練習は何度も何度もできました。
  そして、運動会当日、みんなはあの二週間を無駄にせず、観客に元気な踊りを見せつけ、本番は成功しました。僕にとってあれが成功したのは僕以外の応援リー ダーのみんなのおかげだと思います。踊りや歌を夏休みに休日を削ってまで一生懸命考えてくれて、僕はみんなにとても感謝しています。彼らのおかげで赤組の 応援が成功できたようなものです。そして、運動会終盤、あの接戦の末、赤組は十二点差で負けました。僕はあの十二点が忘れられません。「大玉で勝っていれ ば…。短距離走で一位をとっていれば…。」と心の中で悔やんでも悔やみきれませんでした。
 
 
 

日本人学校運動会
白組団長 日本人学校中学部三年 久世 優美子

 
 運動会の見せ場となる応援合戦の練習が始まったのは夏休みだっ た。午後を三日間フルに活用し、短期間に集中して土台を作り上げた。夏休みが明け、一週間、二週間と順調すぎるくらい練習は円滑に進んだ。その頃は、全体 の動きを覚えて、それを教えることだけで精一杯だった。しかし、残り一週間となり、練習もまとめに入るころ「楽しむ」という言葉を聞いたのをきっかけに、 自分がどんな応援にしたいかを考え始めるようになった。そのとき聞いた「楽しむ」という言葉には初めて耳にするかのような新鮮な響きがあった。心にしみる 清らかな響きがあった。そんな言葉に巡り会えた。
  それからは「楽しむ」というのが白組の応援のコンセプトになった。私は応援リーダーとして運動会を楽しむにはどうすればいいか深く考えた。それはもう、夢 に出てくるくらいまで。しかし、どんなに頭で考えても、応援合戦の楽しみ方に明確な答えは出てこなかった。ただ、団長としてみんなにしてあげられること は、みんなを楽しませてあげることなのだと気づくことはできた。
  この運動会、間違いや失敗など、やり直したいこともいろいろあったけど、小学生の応援している声や、ハイタッチしたときの手の感触などの方が強く心に焼き 付いている。そんな楽しい運動会にできたのは、練習から本番まで力を合わせて一緒に盛り上がれた白組の仲間、最後まで精一杯競った赤組、何ヶ月も前から私 たちの知らないところでも運動会を支えてくださった日本人会の方や先生方がいてくれたからだと、振り返って改めて思う。この感謝の気持ちは言葉では言いつ くせないけど、ちゃんと言葉にして伝えたい。
  ありがとう。
 
 
 

Web editorial office in Donau 4 Seasons.