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日本人学校補習校その他日本語教 育
 
     
 
 
 
最高のステージ
小学部 6年 升谷 泰士

 
 「はあ、はあ、はあ」
 今、ハンガリーダンスを終えとても汗をかいている。僕がこんなに汗をかくことができたのは今までの練習を一生懸命頑張ったからだと思う。昨年も僕たちは ハンガリーダンスをドナウ祭で踊った。練習時間が長く、ダンスを教えてくださる先生が日本の方で直接やりとりができ、どんどん進んでいった。けれど、今年 は、不安だった。ダンスを教えてくださる先生がハンガリーの方で、練習時間が約8時間しかなかったからだ。
 先生と初対面の日。すぐダンスの練習に入った。ステップは昨年より簡単だったが、ダンスの構成がとても複雑でみんなの動きがばらばらだった。それにハン ガリー語の歌も入り、さらに難しくなった。練習の時に休んでしまう人が多く、練習時間が少なくなり苦労した人もいた。
 自分たちでダンスのステップを考えるところもあり、六年生でリズムに合っているかを考えながらつくっていった。「『先生に言われてやる』のではなくて自 分たちで工夫するっていいな」。これがぼくの思いだった。練習を進めていくと、息が合ってきて形になってきてとても楽しくなった。みんな、朝の時間にハン ガリーダンスの曲を流したり、踊ったりしていた。この調子ならいい演技ができそうだなと思った。本番まで約1週間。衣装とくつが届いた。実際に着ている と、練習の時とはちがい音がひびいた。ステップをまちがえたら、すぐわかってしまうので、今まで以上に気をつけた。
 本番2日前。僕たちはしかられた。へらへらしていたり、ステップを忘れていたりしていたからだった。僕は、この失敗を繰り返さないようにこのあとの練習 に臨んだ。「さっきよりうまくいったが、まだいける」と、先生が言ってくださった。僕は、絶対成功させてやると思った。
 本番前日、IBSでリハーサルがあった。これが最初で最後のステージでのリハーサルだった。やはり、普通の床とはちがい、踊る範囲に限りがあり、ぎりぎ りのところで踊らなくてはならなかった。だが、みんなすぐ覚えた。それは、みんないい演技をしようと思っていたからだと思う。ますます自信がわいてきた。
 ついに本番をむかえた。午前中リハーサルの時から僕は気合が入っていた。リハーサルが終わり、いよいよ本番だ。僕は急に緊張してきた。ステージの上に立 ち幕が開いた。言葉を言い終わって横に行き、肩を組んだ。「よし行くぞ」という気持ちでステージに出た。踊っている時は目線を上にすることやみんなと息を 合わせることに気をつけていた。最後のしめの時の「タタタンタン」がみんなの気持ちがひとつになり決まった。2ヶ月半、僕たちが一生懸命に練習してきた成 果がここに表われた。このハンガリーダンスを通して、「練習時間が多ければいいのではなく、一回一回、どれだけ心を一つにし、一生懸命するかで決まる」と いうことを僕は学んだ。
 この学んだことを意識し、中学校生活を送りたい。
 
 
二つの限界突破
中学部3年 島戸 崇文

 
 私は最高学年の中学3年生だったからか、これまでよりも多く様々な活動に取り組み、新たな出来事に挑戦した。ブダペスト日本人学校で過ごした約8年間の 中でも一番濃いものになった。とくに、一等星のように輝いている出来事が二つある。
 一つ目は、夏休み明けに開かれた、ハーフマラソンに参加したことである。昨年は、ハーフマラソンを友達と二人のリレーで走った。しかし、今年は21km の道のりを一人で走った。最初はハーフマラソンに参加するかどうかで迷った。夏休みの間、私は全く走っておらず、体力が随分落ちていたからである。しか し、このマラソンを逃すと、もうハンガリーでのマラソンには参加できなくなる。最後に良い思い出を作ろうと21kmを走ることにした。まだ気温も高い中、 残された期間、毎週土曜日と日曜日には十キロ近く走り続け、体力を取り戻すことができた。
 ハーフマラソンの当日、最初の6kmまでが長く、調子がでなかった。そこから後の17kmまでは体がなんとか調子を取り戻し、難なく走れた。ところが、 その後に腰と足に痛みが走ってきた。その痛みのせいで、私は何度も立ち止まった。「あきらめたら何も得るものはない、まだ限界に達していない」、と自分を 励まし再び走り始め、21kmをなんとか走り切った。タイムは1時間58分27秒だった。この挑戦は肉体の限界突破であったと思う。だからこそ、強く印象 に残っている。
 二つ目は、運動会で赤組応援団長を務めたことである。とくに印象的だったのは応援練習である。練習の際、中学部であまり声をかけ合えていなかったり、話 し合いが足りなかったり、教える進行状況が悪かったりしたからである。先生からもっと計画を立てた方が良いなどという注意を受けたこともたびたびあった。 ちょうど、中三の道徳の授業でリーダーについて学んでいて、団長として自分が中学部をまとめきれていないから一回一回の練習が重くなるのだと気付いたこと を覚えている。それからは毎朝話し合いを設けたり、毎晩練習計画を立てたりした。そのおかげで、進行状況や声かけが良くなった。しかし、これでうまく進む のかと不安が消える事はなく、夜も眠れない日があった。そんな不安を抱えつつも運動会までに完成させたのを覚えている。応援練習は精神的にこたえるもの だったが、そのような困難があってこそ当日が輝かしいものになったのだと考える。ハーフマラソンが肉体の限界突破なら、応援の出来事は精神の限界突破だと 言えるものであった。その過程で私は何度もネガティブ思考に陥った。しかしそれらは必ず最後に私に喜び、快感、そして笑顔をもたらしてくれた。
 今後私は、困難に出会っても、嫌な気持ちで受け止めるのではなく、真正面から全力でぶつかっていくようにしていきたい。困難というものは、つらいもので あるが、その困難をどう解決していくかというのが人生を大きく左右すると私は考える。そして、このことを大切にし、あらゆる限界突破を目指してこれからの 人生を良いものにしていきたい。
 
 

Web editorial office in Donau 4 Seasons.