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日本人学校補習校その他日本語教 育
 
     
 
 
 
今の自分と昔の自分
林 夏子

 

 私は、中学1年生をベトナム、ドイツで過ごし、2年生になってここに来た。中学1年生の時を振り返ってみると、今のような性格ではなかったと思う。こんなに先生に思ったことをズケズケ言うことはなかったし、言葉もきつくなかった。どちらかというと控えめで、何でも人の後をついていく感じだった。だから、今のように他学年と交流することはほとんどなく、同学年の仲の良い子とだけ一緒にいた。それに、人の前に立って人をまとめるような役職に就くことは絶対になかった。
 ここに来る前の学校では人数が多く、人の前に出ることが好きではない私が、人をまとめるような役職に就く必要はなかった。だから、他人に任せきりで自分からは前に出なかった。そんな他人任せの人間だった。だが、このブダペスト日本人学校に来てからは嫌でもそういうことをやらなくてはいけなくなった。人数が他の学校に比べ遥かに少なかったからだ。
 転校して早々、私は委員会の副委員長をやることになった。だが、何をすればいいのか、どうすればいいのか、正解が全くわからない。そのため、毎回、委員会の時間が嫌で仕方なかった。しばらく慣れることができなかった。前期が終わる頃になって、ようやく慣れてきた。後期でもまた別の委員会の副委員長になった。前期での経験によって何をすべきかわかっていたため、委員会がそこまで嫌ではなくなっていた。しかし、相変わらずうまくまとめることはできなかった。さらにその後もいくつかのリーダーを経験した。
 中学3年生になって学級の人数が10人から8人になった。しかも男子5人、女子3人。それは女子1人当たりの負担が大きくなることを意味していた。案の定、私は学級委員をやることになった。人前に立つのが嫌いな私が一番嫌なものだった。学級をまとめる位置につくと、自分が皆より上の立場に立っている感じがするのが嫌だった。だが、やらなくてはならない。それがこの学校に来た宿命のようなものだったから。日が経つにつれそういった前に出る仕事にも慣れ、自分のやり方で皆をまとめられるようになった。最初は、先生方や同級生などの助けに頼ってばかりだったが、回数を重ねるうちにだんだん自信がついてきた。
 私がもしここに来ることなく、昔の学校のままだったとしたら、「人をまとめるような仕事につかない。他学年と交流せず、同学年とだけ親睦を深めればいい」と思っていたことだろう。そんな自分がこの学校に来て明らかに変わったのである。この学校に来られて、人をまとめる力がついた。同学年との絆を深くできた。他学年と交流することができた。性格も明るくなった。本当に色々なことを学べた。少人数の学校ならではの体験ができた。もちろん、「人数が少ないから、仕事が多すぎる」などとネガティブに考えたこともたくさんあった。だが、引退して、中心になって学校を動かす仕事がなくなった今、「自分の人生にとってプラスになることをやらせてもらえた」と思う。
 ここの学校での生活を通して経験したこと、以前の中学校の生活との違いから考えたこと、得たもの、全てのことが今の自分にとって欠かすことのできない、忘れてはならないものだと思う。中学校1年生から今まで三つの学校での生活を経験し、最終的に今の自分にたどり着いた。そんな今の自分を大切にしながら次への階段を上っていきたいと思う。今は、中学校最後の年を皆と共に十分に楽しみながら、受験に向けての勉強に励もうと思う。今、中学部3年生の学級では常に笑いが絶えない。高校でも、そんな学級に出逢いたいと思う。まずは、学級の目標でもある「全員受かって帰ってくる。」の実現である。自分も望む高校に合格し、6人一緒に笑顔で卒業したいと思う。

(はやし・なつこ)
 
 

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