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小 林研一郎を追って
坂梨 正典

 
 2011 年11月5日(土)小林研一郎先生「追っかけ」の私達はペーチ市にいました。
 ブダペストから真新しいM6を約200km南下したバラニャ県中心都市ペーチは人口約16万人。ローマ帝国の属州パンノニアであった2世紀初頭ソピアネ という名のワイン生産植民地だったこの街は2010年度「欧州文化首都」に選ばれました。コンサート前の時間を利用してゆったり散策すると、晩秋のすっか り黄葉した通りの向こうに「世界遺産」に登録された4世紀初頭の初期キリスト教徒の墓地やオスマントルコ占領時代の名残であるモスク、聖堂、国立劇場、 セーチェ二広場を訪れることが出来、正に歴史と文化の香る街を満喫しました。ギリシャ不安から端を発する欧州危機が囁かれる今日この頃、落ち着かない日々 を過ごしていた私の凸凹した心はいつしか滑らかな湖面のような平穏を取り戻していました。
 コンサートの一曲目は「火の鳥」でした。火の鳥と言えば、手塚治虫か国際救助隊(あれはサンダーバード!?)しか浮かばないクラシック音痴の私でした が、よく調べるとロシアバレエ団創設者セルゲイ・ディアギレフに依頼されストラヴィンスキーがロシア民謡に基づいて作ったバレエ音楽で、1910年6月 25日にパリ・オペラ座で初演されています。不死の魔王カスチェイの庭園で幸運の象徴である火の鳥を見逃したお礼に黄金の羽を貰ったイワン王子がその羽を 使って魔法をかけられた王女を助け、舞い降りた火の鳥が魔物達を退治するというのがそのストーリーです。コントラバスの重低音がおどおどろしく響き不気味 に始まると、弦楽器が不協和音にも似た響きを奏で、クラリネットやフルートが幻想的なリズムを響かせ、ハープの美しい音色を聴いたかと思うとトランペッ ト、チューバ、トロンボーンが抽象画でも描くように音色を重ね合う、正に混沌とした世界でしたが、ひとたび小林先生の指揮棒にかかると正に魔法のように一 糸乱れぬリズムと切れの良い和音が私達の心に響きわたりました。まるで火の鳥がゆっくりと湖面から舞い上がるように私の気持ちも浮揚するのがはっきり分か りました。
 後半はベートーベン交響曲第3番「英雄」でした。英雄=ナポレオン位は知っていましたが、これまた調べるとそうシンプルな話しではありません。ベートー ベンは耳の疾患が悪化し音楽家生命が終わる危機に直面し絶望のどん底に落ちたのですが、それでも新しい音楽への凄まじいばかりの情熱からこれまでの常識を 打ち破る決死の覚悟でこの曲を創造したのです。これは当時の戦火に打ちひしがれた民衆が新しい時代へと突き進む力も描くこととなり、その象徴として民衆を 解放する偉大な英雄であるナポレオンに捧げたものとも言われています。曲の構成としては、演奏時間50分という曲の長大さ、葬送行進曲やスケルツォ(諧謔 曲)といったそれまでの交響曲からすると異質とも思える融合を図る等革新的です。小林先生の指揮下、素晴らしい演奏を披露するオーケストラ、特に自由に歌 うようなホルンの音色は心に染み入り、まさに英雄的で雄大な曲想が私の魂を揺さぶりしました。湖面から浮揚した心はまるで勲章のように胸の辺りで熱く光り 輝くようでした。
 小林先生 は日本経済新聞連載「こころの玉手箱」で2011年11月29日から5回に亘り自叙伝を発表されています。小学4年生のころ聞き人生を決めたベートーヴェ ンの交響曲第9番、将棋棋士羽生善治さんとの交流、決して手放せない指揮棒、お母様の厳しさと愛情、どのお話も大変興味深く読ませて頂きましたが、もっと も印象に残ったのは小林先生とハンガリーの切っても切れないご縁のお話でした。1974年2月音楽雑誌「音楽の友」にブダペスト国際指揮者コンクール応募 要領を見つけたのですが、既に締切日をわずかに過ぎていた為断念せざるを得なかったはずが、周囲の助けによりなんとかエントリーしそして優勝、その後ハン ガリー国立交響楽団の音楽監督などを努め世界的な指揮者となられたのは周知の事実です。あのときもし、コンクールに出場されなかったら今回のペーチコン サートもなかったかもしれません。私としても、ハンガリーに駐在できたこと、小林先生と言う偉大な指揮者にお会いできたこと、ペーチのコンサートまで追っ かけることが出来たこと、更には沈んでいた心が幸福感で満ち満ちたことに大いに感謝しています。複雑に絡み合う人々の人生がある時ある場所でその僅かな接 点を共有できることは奇跡であり運命的だと思います。
次回は是非小林先生のベートーベン交響曲第5番「運命」を聴きに行くつもりです。
 
(さかなし・まさのり 丸紅ブダペスト)
 
 

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