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“坊ちゃん”になるのか
Hefenbein Katalin


   私が日本の文化や文学に意識的に触れはじめた理由は、父親が合気道を習っていたことと、同じく父が日本に関する本を集めていた影響からです。高校生の頃、芥川龍之介や夏目漱石の作品を読んでとても気に入ったため、日本語を勉強しようと思いました。このきっかけを聞いた日本人の友達は「芥川龍之介?あれ、日本人でもなかなか読めないよ」とよく言います。実を言うと日本語ではなく、ハンガリー語に翻訳された『藪の中』、『坊ちゃん』などを読んだわけで、なぜ皆が芥川龍之介の名前を聞いて驚くのか、大学生になるまでさっぱり分かりませんでした。また、教師をしている父親の影響か、子供の時からずっと教師の仕事に興味を持っており、高校を卒業した後、“坊ちゃん”のような生活を送るのも良いと思うようになり、その後どうしても日本語の先生として働きたいという夢を持つようになりました。それで、日本語系の専攻に進学することにしました。
 2006年、ELTE大学の人文学部東洋学研究所日本学科に入学することになりました。ELTE大学に通った3年間では学ぶ喜びと苦労を実感しましたが、言語や文学、歴史などの授業で取得した知識量、内容を振り返ると、努力してきて間違いなかったと思えます。本格的な日本語の勉強を始めて3年で『羅生門』が日本語でも読めるようになったことは表現できない程嬉しく、また驚きでもありました。
 
さらに、中国語や韓国語、モンゴル語を勉強する機会もあり、アジアのあらゆる文化を紹介する講義を受講することができました。大学の授業以外では、同級生や先生との活動として「ニハハ・クラブ」という日本人とハンガリー人がいっしょに話すためのサークルを実施し、数多くのハンガリー人と日本人が集まり、楽しい会話やゲームをしながら、お互いの文化や習慣の違いなどを体験することができました。卒業論文では、日本の文学における河童の由来や進化について分析し、日本書紀から芥川龍之介まで資料を活用しながら、時代によって異なる河童の姿が描かれていることを紹介しました。

 ELTE大学を卒業した後、カーロリ大学の日本学修士課程に進学することになりました。日本や日本語に関する知識を増やす過程で語学に関心を持つようになり、日本人の考え方を反映する伝達や特別なメタコミュニケーションについて研究しようと思いました。修士課程の授業では日本の古典文法や経済、美術についての研究のほかに、ELTE大学とカーロリ大学の学生たちを対象に、日本や自分の専門についてどう考えているか調査を行い、意識や意見を分析した後、日本語を勉強している高校生に発表しました。

 2011年4月から大分大学に留学し、それまでに身につけた調査方法を活かして、大分の指導教官の指導のもと、修士論文のテーマ「日本人のメタコミュニケーション」に関する調査をより深く行うことができました。アンケート調査とインタビューによって、日本語のあいまいな表現はなぜ使われるのか、またどのように使われているのかが少しずつ明確になりました。今後もその背景となる文化的基盤と共に探っていきたいと考えています。

2012年からELTE大学に再入学し、日本学科博士課程に通っています。博士論文のテーマは「以心伝心」で、それに不可欠な講義を受けると共に、学部2年生に日本語を教えることになったため教師としての経験も得られることになり、夢に一歩近づくことができました。教育に関わる仕事は自分では天職だと思っています。
  “坊ちゃん”のような学生に笑われる先生になってしまうかどうかまだ分かりませんが、自分が取得した知識を、関心を持ってもらえるように学生に伝えることは、頑張りがいがあります。日本の言葉や文化だけを教えるのではなく、学生たちに勉強の面白さも知ってもらいたいので、できる限り楽しく学んでもらえるように工夫していきたいと思っています。

 
(ヘルフェンバイン・カタリン )
 
 

Web editorial office in Donau 4 Seasons.