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日本の熱気球免許、アメリカで通用せず
~第20回熱気球世界選手権 アメリカ~
加藤 詩乃


 2010年ハンガリー・デブレツェンで開催された熱気球世界選手権から2年、昨年8月に第20回熱気球世界選手権がアメリカ・ミシガン州バトルクリークで開催されました。ハンガリー大会では日本代表選手は7名でしたが、ハンガリー大会での不振から1枠減り、アメリカへは6選手のエントリーとなりました。
  ハンガリー大会の模様は「ドナウの四季」でもご報告させて頂きましたが、熱気球競技は機材のシッピングや現地での車両、滞在などなど競技以外の手配が膨大にあります。ハンガリー大会では、この点でとても苦労しました。アメリカではこの点は楽勝と思っていましたが・・・とんでもない事態が待ち構えていました。
  それは、気球の操縦免許問題。
  日本では、気球は航空機として認められておらず、国の定める免許もありません。日本気球連盟という団体が技能試験・適正などを審査し「熱気球操縦技能証明」を発行しています。一方、海外では気球が航空機である所も多く、アメリカでは明確に航空機の一種です。よって、アメリカでは気球の操縦には国の定める免許が必要で、国から認められた機体のみが飛行可能です。
  厳しく考えると、アメリカでは気球とはいえ上空から爆弾投下するという危険性も考慮した上で国が管理しているのでしょう。日本は平和なのだとも言えます。
  日本の気球連盟が発行した免許は、あくまで民間団体の発行した免許なので、アメリカでは通用しません。アメリカの免許への書き換えもできません。この問題は、昔から判っていたはずなのですが、よく知らない人は「日本の免許がアメリカで通用しない訳がない」という思い込みと、知っている人もアメリカの気球大会で日本人がフライトする場合、アメリカのパイロットを同乗させたり・・・またはその大会主催者の判断で許可したり・・・といった、うやむやなまま昨夏に至っていました。
  しかし、今回は世界選手権。明確に、この問題が明るみになりました。それも、8月開催だというのに、アメリカ側からの通達が来たのは、7月中頃。数週間を切った期間にできる事は、わずかでした。大使館や、国土交通省の方などにもご尽力いただきましたが、法改定はその短期間では不可能で、かつ特別処置もできませんでした。
  結局、日本人パイロットは全員、アメリカ渡航後、アメリカの熱気球操縦士のスチューデントパイロット(訓練生)となり、ソロフライト(一人でフライト)の許可を受け、スチューデントパイロットして世界選手権にエントリーするという異例の事態となりました。もちろん、前代未聞です。気球機体は、日本からシッピングした5機はそのままでは使えず、急遽、アメリカの機体に登録し直しました。1機はアメリカから借りました。スチューデントパイロットへの訓練、手続きも、機体のアメリカ登録も、すべてアメリカの皆さんの献身的なサポートのおかげでした。
 

 日本で気球がスタートしたのはおよそ40年前です。1960年代後半、安保闘争など当時の社会運動とは異なる思いを抱いた学生たちが中心になり、外国の小説や映画で知った熱気球を手作りし、飛ばしたのがスタートでした。その当時、活躍された方々が、今もまだ日本の熱気球界に健在で、みなさんの思いは、気球は自由の象徴で、法律に縛られる事なく、自分たちで秩序を保っていきたいというものです。
  その点は、私もとても共感するものがあります。
  しかし気球とはいえ、国際大会へ参加する選手も多くなり、また一般的な外交状況からみても、日本国内のみで通用するルールで、貫き通すのはなかなか難しい物があると感じています。
  国際的にも受け入れられ、かつ、日本のこれまでの歩みをも尊重した免許、今後どうなるでしょうか。
  さて、アメリカ大会では、準備段階で極めて困難な状況になりましたが、日本選手がはじめてトップ3に食い入る事ができました。
  熱気球世界選手権、次回は2014年ブラジルです。

( かとう・しの)
 
 

Web editorial office in Donau 4 Seasons.