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ハンガリーの人々に愛される日本の音楽大使
山本 忠通


 これほど人々に愛される指揮者がいるだろうか。満場の割れるような拍手を聞いてそう思った。ペーチ市コダーイ・センターでのハンガリー・ラジオ交響楽団を率いての公演直後のことである。カール・オーフ「カルミナ・ブラーナ」の耽美な世界に引き込まれていた聴衆は、その世界から出ることを拒否するように拍手をしていた。
  しかし、私の感想は、音楽の素晴らしさだけから来ているものではなかった。コダーイ・センターに到着し、会場に入ってホールの入口に向かおうとしていた私と妻は、同じように席へ向かおうとしていた多くの客に行く手を阻まれ、人の流れに身を任せていた。その時、丁度後ろを振り返った初老の品の良いハンガリー人の二人の婦人と目が合った。一人が私に向かって、「あなたは日本人ですか」と尋ねてきた。
「そうです」と答えると、「私共は、彼(小林)をとても誇りに思っています」と言って微笑んだ。彼らも、音楽を聴き終えて、この満場の興奮した聴衆の一人になって夢中で拍手をしているのだろう。彼らは、日本人に向かって、ハンガリーの偉大な指揮者小林研一郎を、ハンガリー人として誇りに思っていると伝えたかったのだろうと思った。
 ペーチの公演は、小林研一郎が1974年に第一回ハンガリー・テレビ国際指揮者コンクールで優勝して40周年に当たる今年、ハンガリーで行われる7回の記念コンサートのうちの一つであった。全てのコンサートを聴きに行けたわけではないが、私が行くことの出来たコンサートは、いずれの会場でも聴衆の熱い感激が伝わって来た。
 
  ジュール市では、コンサートに招待してくれたジュール・フィルハ-モニックの音楽監督ベルケシュさんが、隣の席で、「小林は、楽団員一人一人の能力を引き出してくれる」と説明してくれた。確かに、どの演奏会でも演奏終了直後の楽団員が満足そうに笑顔を抱いていた。止みならない聴衆の拍手の前に、小林研一郎が何度も登壇し、最後には楽団員に一緒に立って挨拶をするように促し、これで引き上げようとする時でも、楽団員が拍手をして小林研一郎を引き下がらせないことも何度か目撃した。小林研一郎の指揮の下で演奏することを喜び満足しているのである。
  小林研一郎がこのように愛され、尊敬されているのはどうしてなのであろう。
  もちろん、素晴らしい音楽の才能と指揮者として卓越していることが根底にあることは間違いない。しかし、それだけではないであろう。
  私は、小林さんとハンガリーに来て初めてお目にかかった。感じたことは、奢らない態度、むしろ自分を常に謙虚な位置に置こうとされているたゆまない意識と繊細な感性であった。いずれも人が更に成長して、研ぎ澄まされていくために重要な資質と努力である。小林さんは私よりも大分人生の先輩であられる。それなのに、このみずみずしい感性と優しいながらの鋭さはなんだろう、と驚いたことを覚えている。謙虚さで人を受け入れた上で指導していくことは、指揮者として大勢の団員を統率していく上では大事なことのように思える。団員は、直ぐに小林さんが、如何に優れた指揮者であり、また同時に素晴らしい人間性を持った人であるかを感じるであろう。
  このようにして40年。国立フィルハーモニーの音楽監督の10年を含め、ハンガリー国内の主要オーケストラを指揮してこられた。地方の主要都市も回り、ハンガリーの人々に心を打つ音楽を届けてこられた。音楽を大切にし、心の糧にしているハンガリーの人々が小林研一郎を愛するのは、自然なことのように思えてくる。
オルバーン首相が、2013年11月に日本を訪問し、安倍総理主催の晩餐会の席で挨拶した時に、招待されていた小林さんをはじめとする各界の代表を前にこう述べた。「我々、ハンガリーと日本の国民は幸運である。二つの国の間には、公式の政府を代表する大使に加えて、民間の優れた大使がいる」。小林さんにお会いし、そして、今回小林さんの演奏会に集まったハンガリーの人々を見て、オルバーン首相の言う通りだと思った。そして、私は、小林さんが、ハンガリーの人々が世界に誇りにしているハンガリーの指揮者だということを知って、小林研一郎が日本人であることを、一人の日本人として心から誇らしく思った。
(やまもと・ただみち 在ハンガリー日本国大使)
 
 

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