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子は親を映す鏡
日野 知香


   ハンガリーに来て1年。ハンガリー生活と言えるほど、日本での生活と違うことは特に思い当たらない。毎朝バタバタと夫を送り出し、子どもたちを幼稚園へ送り、用事を済ませて、子どもたちのお迎え、夕飯、お風呂ドタバタの夜が過ぎ、寝かしつけという名の寝落ち・・・。この1年で悩んだことも結局育児のこと。日本にいても同じことを悩み、同じ結論を出したであろう。
 せっかく海外で生活をするのだから、何かこれというものを残したい、そんな思いでハンガリーでの生活をスタートさせた。しかし、子育て真っ最中の私にとって、自分の時間はほぼなく、子どもを追いかけまわしているうちに1日が終わり、あっという間に1年が過ぎた。何をしていたのだろう。一見、1年を無駄に過ごしてしまったようにも思う。しかし、日本と変わらない生活、それはとても幸せなことなのだと感じる。
 朝忙しく出かけていく時も、隣人やバスの運転手さんなど挨拶する人がたくさんいること、子どもたちが喜んで幼稚園に行き楽しめていること、鍵を持たずに外に出たから鍵を開けてくれと頼ってくる隣人がいること、夫が骨折をして松葉杖で歩く姿をみて「何があった?」と声をかけてくれる人や心配してメールをくれる人がいること、道端でイヤイヤ期の息子に途方に暮れている時、声をかけ泣き止ませてくれる近所のおじさんがいること。どれも特別なことではないが、ハンガリーという異国の地で日本にいるようなコミュニティができ、当たり前に生活できているということは、それだけで私たちにとって財産だと感じている。

 主婦として家事、育児を頑張っているだけでは何も得られていないような気がしていた。
働いていた時のような評価や達成感のない生活は物足りないような、周りから取り残される焦りもあった。しかし、家族の生活を支えるために、日々必死に暮らしてきたことは自分のスキルとなっていた。そして、私が苦労しているときにサポートしてくれる人は、日本人ハンガリー人問わず周りに沢山いた。日本にいる頃ヨーロッパで起きた悲しいニュースを目にし、警戒心が強くなってしまっていた私は、最初は予定外の来客にすら緊張していた。そんな私が少し戸惑うこともあったが、困った時手を差し伸べてくれた人に甘えてみたことで、そこでできるコミュニティがあり、その交流により強かった警戒心が癒されていった。交流すると会話をしたい欲求が出てきて、片言のハンガリー語や英語を使ってみる、相手の言語を使うことで少し距離が縮まる、それが楽しくなってきた。
 子は親を映す鏡というが、ハンガリーに来たばかりの頃、私から離れることの出来なかった子どもたちは、今ではハンガリー語や英語を少しずつ話すようになり、近所の人に自分から挨拶するなど、どんどん社交的になった。綺麗な女の人にはしつこいくらい挨拶するようになった息子を見て、恥ずかしくなることもあるが、どこへ行って
も可愛がられている子どもたちを見ることは親としてとても幸せだ。
 こちらの幼稚園での生活は初めて親から離れての集団生活であり、かつ言葉もわからないため、子どもたちにとって大変なことだったと思う。しかし、ハグアンドキスというわかりやすい愛情表現を毎日たくさんの人にしてもらったことにより、子どもたちは周りの優しさや愛情をしっかり受け取ることができ、今では相手に合わせた言語を使おうとしている。初対面の通りすがりの人にまで挨拶をして、楽しそうに走り回る子どもたちは、まさに私の心を映しているのだろう。ハンガリーの人たちともっと仲良くなりたい、毎日をもっと楽しみたい、それが今私が思っていることだ。
 夫、父の赴任についてきた家族、ではなく、それぞれが自分たちの生活を主体的に楽しみ、日々を過ごしていきたい。そんな私たちを見て、夫もさらに仕事へ意欲的に取り組んでほしい。これ、と言えるものはないが、周りの人たちとの出会いに感謝し、主婦として今日も当たり前の生活を大切に、家族が元気に仕事や幼稚園へ行ける家庭をつくっていきたいと思う。そして日本に帰るときには妻、母として少し自信をもった女性になっていたい。
(ひの・ちか)
 
 

Web editorial office in Donau 4 Seasons.