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錦織選手の再起を祈る
盛田 常夫


 手首の腱の部分切断はテニス選手にとって、致命的な怪我である。
 錦織選手より1歳年上のデル・ポトロ選手は、2009年に弱冠20歳でフェデラーを破り全米オープンのタイトルを獲得した。この試合に負けたフェデラーが涙を流したのを良く覚えている。セットカウント2-1でリードしたフェデラーの史上初の6連覇かと思われたが、捨て身のデル・ポトロ選手のパワーショットが炸裂して、プレーのレベルが落ちたフェデラーから2セットを連取して優勝するという劇的な展開になった。この試合を契機に、フェデラー選手はグランドスラム大会の優勝から遠ざかったという意味でも、因縁深い試合だった。実際、フェデラーはこれ以後、全米オープンのタイトルをとっていないし、ここから絶対王者の陥落が始まった。あたかも全米オープンのデル・ポトロ戦がトラウマになったかのようである。当時の錦織選手はデル・ポトロ選手のパワーにまったく歯が立たなかった。
 誰もがデル・ポトロ時代が来ると思ったが、しかし、その後、定期的に両手首を痛め、試合に出たり棄権したりする日々が続き、世界ランクは急落してしまった。今もなお、手首の状態と相談しながら、テニスを続けている。
 デル・ポトロ選手の場合は、パワーがありすぎて、手首に負担がかかったと思われる。強烈なサーヴ力やストローク力を持つ選手は、定期的に肩を痛めたり、肘を痛めたりするから、パワーに頼りすぎるテニスは故障のリスクを常に抱えている。
 逆に、錦織選手の場合は、同じ体軀の選手と比べても体の作りが華奢で、パワーテニス時代にあって、腕にかかる負荷をどうやって凌いでいるのか心配していた。多くのテニス関係者も、錦織選手が小さな体でトップテンを守っていることに驚嘆していた。どう見ても地肩は強くなく、腕っ節も強そうには見えない錦織選手の手首や肘にかかる負荷は、相当のものだろう。案の定、デビューして間もない時期に、肘の故障で1年ほど休んでいる。その後も、脇腹、臀部、足首などの故障は定期的にあったが、これらはテニス選手にとって致命的な故障ではない。しかし、肘や手首はテニスプレーヤーの致命的な箇所だから、中途半端な状態で試合に臨むことはできない。腫れが退いてから腱の再建手術になるのかどうか分からないが、ここは徹底して治療しないと再起は難しい。
 手首や肘の腱が断裂する時には必ず前兆がある。疲労で重い感じがした時には、疲労が取れるまで、手首や肘を休めなければならない。そこを無理すると、腱が切れる。その予兆を深刻なものと受け止めず、サーヴの練習を続けたのだろう。それが重大な結果を招いた。
 
 錦織選手に限らず、トップテンの選手で故障を抱えて長期休養する選手が、これまでになく多い。明らかに選手の疲労が蓄積している。グランドスラム大会に次ぐATP1000のマスターズ大会が、連続して開催される時期が何回かある。8月のロジャーズ・カップで優勝した次代のチャンピオンと目される20歳のA. ズヴェレフは、翌週の同じくATP1000大会のシンシナティ・マスターズでは緒戦で世界ランク87位の18歳のティアフォーに負けてしまった。「疲労困憊でどうしようもなかった」というのが、ズヴェレフの言である。
 A. ズヴェレフ選手は2m近い身長でありながら、俊敏な動きができ、正確なストローク力をもっている。2mを超える長身選手はどうしても歩幅が大きくなり、俊敏な動作ができない。だから、ストローク力よりもサーヴ力で勝負する選手がほとんどだが、ズヴェレフ選手は細身で体重がない分だけ、俊敏な動作ができる。しかも、長身からのサーヴはパワーと角度がある。サーヴピードは210km前後だから、錦織選手より3割ほど速い。ちょうど大谷翔平をテニス選手にした感じで、ズヴェレフ選手を見る毎に、ウエイトのある大谷選手がテニスをやっていれば、世界の頂点を狙えただろうなと思ってしまう。
 ズヴェレフ選手の他に、18~20歳の有望な選手が台頭してきている。また、オーストリアの23歳のティーム選手も、ストローク、サーヴともに素晴らしいものをもっている。サーヴ力がない錦織選手はこれまでストローク力でトップテンを維持してきたが、若手選手は皆、ストローク力があってサーヴ力もある。だから、錦織選手が怪我から回復しても、これらの若手相手の試合はタフなものなることは間違いない。しかも、年上のレジェンド4強は当面は引退しないだろうから、錦織・チリッチ・ラオニッチの狭間の世代は埋もれたままになる可能性が高い。
 ただ、ズヴェレフ選手にしてもティーム選手にしても、最大の敵はライヴァル選手ではなくて怪我である。疲労が蓄積すれば慢性的な故障を抱えることにもなる。それは選手生命を左右する。怪我を抱え込み、慢性化すれば、トップを狙うことはできない。
 プロテニス協会はATP1000の大会が連続しないような日程を組み、トップ選手の参加義務を緩和し、疲労を蓄積させないように配慮すべきだろう。そのためには、ランキングを決める年間ポイントに算入する試合数を限定するなどの措置が必要になる。一昔前のテニスと違い、現代テニスは強烈なパワーが炸裂するスポーツになっている。ATPのビジネス政策だけで、選手生命が縮まることを防ぐべきだ。
 この点は、先の水泳世界選手権についても言える。FINA(国際水泳連盟)は競技のプロ化を目指しているように見える。選手の数がきわめて限られているダイヴィング競技を導入して、観客を増やそうとしているが、これは主催国に余分の財政負担を押しつけているだけで、予期した効果を上げているとは思えない。ダイヴィングの選手たちは世界のリゾート地でアトラクションをやっているプロである。もちろん、飛び込み出身の選手ではあるが、ダイヴィングをやっている飛び込み選手は数えるほどしかいない。数日間使用するだけのタワーとプール設置のために、10~20億円の費用がかかる。もしかして、FINAは飛び込み競技を終えた選手に、ダイヴィングのW杯などを作って、新たな競技でプロとして生活が成り立つようにと考えているのだろうか。それともたんに、見世物的な競技を出し物にして、水泳競技の大衆化を図ろうとしているのだろうか。
さらに、シンクロナイズドスイミングに臨時の人工プールが設置された。これも水球競技会場を使えば、無駄な出費を避けられたはずである。しかし、FINAは豪勢な競技施設の建設を後押しした。今年のブダペスト大会はメキシコ市が大会を返上して開催を早めた事情があったのだから、もっと質素に開催すべきだったが、競技連盟は競技のアピールのために、出費を惜しまない国を後押ししている。
世界選手権が終わった翌週からは、もう短水路W杯のシリーズが始まり、世界選手権のメダリストたちも世界各地で開かれる短水路大会に参加している。選手には休養する暇がない。いわば競泳のプロトーナメント化が始まっている。もっとも、短水路は選手の体への負担は小さいが。テニスと違って、競技時間が短いことも、短期の休息時間でも体が回復するのかもしれない。水泳選手がプロとして生活できる道の一つかも知れないが、水泳連盟の営業政策と選手の生活や選手生命との微妙な関係が続いている。テニスのような深刻な問題が発生するまでに、もう少し時間が必要だろうか。マラソンの川内優輝選手のように、大会参加を練習の継続のように考える時代に来ているのかもしれない。それがスポーツのプロ化の道なのだろうか。

(もりた・つねお)
 
 

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