私は一昨年の12月、長いハンガリーの生活を終え日本に帰国した。ハンガリーでの生活は10年3ヶ月。ハンガリー留学時代、私は良く病院に通った。ハンガリーの病院システムが良く分らなかったから、病院に行くのは本当に勇気がいった。ブダペストの病院に一度もかからずに帰国する人も多いと思うが、私は違った。病院では良い思い出も苦い思い出も体験した。
 初めて病院へ行ったのは中耳炎になった時。鼻風邪を引いて鼻のかみ過ぎによる一過性のものか、軽い中耳炎と勝手に決めていた。自然治癒するだろうと高をくくっていたが、痛みが激しくなり、数日後には歩くのもつらいほどになった。どうにもならず病院に行く決心をして、家主さんの付き添いで病院へ急いだ。
 病状は思ったより悪く、出血を伴っていた。お医者さんに「なぜ、こんなになるまでほっといたのか!」と怒られてしまった。お医者さんは意外な自宅療法を教えてくれた。ハンカチ大の布、もしくは手のひらサイズの巾着袋に塩を詰め込み、それをガスコンロで温めて耳にあてる。自宅で試してみると、なるほど、塩は長時間温かく、耳がポカポカして気持ちが良い。今までの痛みが消え心地よく幸せな気分になった。
 高熱が出た時にも病院に行った。日本ならまず、「解熱剤を飲み安静に」と言われるが、ここでは「水風呂に入り、熱を下げると良い」。日本では絶対に聞けないアドヴァイスだと思う。原始的な方法とは思ったが、確実に効果はあった。もちろん、抗生物質も処方されたが、1日1錠で2〜3日分渡されただけだった。日本に帰国し、風邪で病院に行った時は、錠剤や粉薬の計5種類の薬を渡された。医師によって治療方針は違うだろうが、私にはハンガリーの医者の方法が理にかなっていると思う。

 この二つの事例は良い思い出でもあるのだけれど、火傷をした時は診察を受けるまで右往左往して、辛い思い出になった。不注意から足に大やけどをし、10cm以上の水泡ができた。水泡が破裂しないか気にしながら病院へ向かった。当時、私は11区に住んでいたから、本来なら11区の病院に行くところだが、知人から12区のヤーノシュ病院を勧められて、そこへ向かった。
 病院の入り口に受け付け(門番)に症状を説明したら、緊急病棟に行くように指示された。ヤーノシュ病院を知っている人は分かると思うが、この病院の敷地は広大で、入口と緊急病棟は両端に位置している。片足を引きずりながらやっとの思いで緊急病棟に着いたが、病棟の光景にびっくりした。次から次へと救急車で患者が運び込まれ、40〜50人ほどの人が治療を待っている。大きな部屋にストレッチャー(足つき担架)が並べられ、人が頻繁に行きかっている。頭から血を流して倒れている人もいれば、順番を待ちながら楽しげにおしゃべりをする人もいた。
 どこが受付でどんな順番で診察されているのかが分らず、しばらく呆然と突っ立っていた。受付らしい窓口を見つけ質問しようと近づいたら、周りの人が「順番が違う!」、「割り込むな!」と声を上げる。私はそれを無視して「受付」に入り、症状を説明した。しかし、「私にはわからない。多分ここではないと思う。他の病棟で聞いてみて」という。もう一人の人は、曖昧に「多分、皮膚科病棟だと思う」と場所を教えてくれた。
 「外国の病院だから仕方ない」と自分に言い聞かせ、片足を引きずりながら皮膚病棟を探す。同じような病棟が並んでいるから、見つけるのは簡単でない。やっと辿り着いた皮膚科病棟受付で、「ここでは診ない」とあっさり断られ、「整形外科に行くように」とたらい回しされた。病院内の広い敷地を何度もぐるぐる回り、気力を失いながら、整形外科病棟を探し、やっとの思いで整形外科病棟に辿り着いた。
 「今度こそは!」と病棟内に足を踏み入れた。比較的静かで20人くらいの人が順番を待っている。受付のカーテンは閉まったまま。とりあえず椅子に座って気持ちを落ち着かせてから動こうと思った。5分ほど経って、部屋から看護士が出てきた。その途端、座っていた20人が一斉に看護士に近づきカードを渡そうとする。看護士は無造作に3〜4人のカードを取ると、部屋に戻った。初めは何が起こったのか分からなかったが、これで診察の順番が決まることが分かった。到着順ではなく、カードを渡した順に診察が行われようだ。次に看護士が出てきたら、私も身分証明書(パスポート)を渡そうと準備した。看護士が出てくる度に、パスポートを渡たそうとするが、受け取ってくれなかった。そうこうしているうちに次々と新しい患者が待合室に来て、看護士に凄い勢いでカードを渡していく。その勢いにすっかり弱気になって、結局、私はパスポートを渡すチャンスを失ってしまった。それから数時間経ち、人が減ってきたところで、やっとパスポートを渡し、診察にたどりついた。なんとも不可解な外来受付である。後から知ったのだが、多くの病院ではこのような患者受付が常態化している。日本人にはまず理解不能なシステムである。
 このように診察にいたるまで数時間も病院内で右往左往して気持ちが萎えてしまったが、診察してくれた医師は素晴らしい先生だった。それまでの苦労が一気に忘れられるとまでは言えないが、とにかく親切だった。私はしばらく通院することになったが、その先生は私が完治するまで丁寧に診察し、適切な処置をしてくれた。
 水泡が落ち着き、包帯が取れた頃、先生は私に赤ちゃんクリームを渡した。赤ちゃん用の低刺激性の市販のクリームである。本当に効くのか心配になり病院の近くの薬局の薬剤師に聞いてみると、「火傷は火傷薬、赤ちゃんクリームなんて使わないなよ」と言われて迷ったが、先生の指示通り、赤ちゃんクリームを塗った。その効果があって、足全体にあった火傷の跡は綺麗に跡形もなくなった。中耳炎の塩袋や熱さましの水風呂に続き、意外な方法を教えてもらったが、効果は抜群だった。
 ちなみに、私が行った病院では、支払いは全て診察室内で行われた。日本のような「会計」窓口がないので、診療後に、その場で医者が領収書を発行し支払った。先生や看護士にお礼をお包みすることもある(ハンガリーで悪名高い習慣)。治療費やお礼も一切とらずに治療してくれた先生もいた。
国の違いを考えさせられたハンガリーの病院体験であった。