ハンガリーという国が自分の生活の一部を占めるようになって7年半が経ちました。その割合は時期によって大きくなったり小さくなったりしていますが、今も変わらずこの国を愛おしいと思う気持ちは健在です。旧大阪外国語大学(現:大阪大学)の日本語専攻に入学し、日本語学を専門としながらも、当時の大学のシステム上、外国語を一つ選んで専門的に勉強する機会をいただき、とくに強い思い入れもないまま選んだ言語がハンガリー語でした。きっかけはともあれ、一度学び始めると、この特異だけれど温かみがあり、柔軟性に富み、幅広い表現力をもつハンガリー語の魅力に心を奪われました。

 日本語学の勉強もそこそこに、2004年夏の2カ月弱の短期留学を経て、2005年の夏、1年のハンガリー留学を決めました。ハンガリー語を勉強すればするほど、その言葉の魅力が深く感じられ、またその言葉を使って自分自身がいろいろな人とコミュニケーションを取れていることに、強い喜びを感じるようになりました。勉強をこんなに楽しいと感じたのは、今までの人生で初めての経験かもしれません。

 ハンガリー語の学習と同時に、留学生活の大きな割合を占めていたのが、ハンガリー人日本語学習者に日本語を教えることでした。高校の日本語の授業にボランティアでサポートをしに行ったり、剣道や空手のトレーニングに通う学生にプライベートで日本語を教えたり、友人の経営する日本語塾で教えたりと、日本語を教える多くの機会に恵まれた一年間でした。普段何気なく使っている母語の日本語ですが、教えてみて初めて気付く日本語の難しさや、美しさ、多様さなど、日々発見と勉強の連続で、とても新鮮で貴重な時間を過ごせました。帰国後に専門である日本語学の研究としっかり向き合えたのも、ここで日本語を教えることで日本語がどういう言語なのか見つめなおす機会になったからだと思います。

 また、自分自身が外国語を学習し、教える立場にもなることで、外国語学習の意味も考えるようになりました。自分がハンガリー語を話した時のハンガリー人の嬉しそうな反応や、日本のことを自分の言葉でちゃんと伝えられる喜びは、ハンガリー語を習得する最大の動機になりました。また、自分の教えた単語や表現を使い嬉々として会話してくれる教え子達や、文化交流の一環で教えた「あやとり」で、いつまでもいつまでも楽しそうに遊んでいる日本語塾の生徒たちの姿を見たときは、これ以上の喜びはないと感じました。言語というコミュニケーションの道具を使うことで、人種も育った環境も違う人同士が、こんなにも近い存在になれるということにとても感動し、外国語学習の素晴らしさを強く実感しました。言語を勉強するということは、単なる教科の勉強ではなく、人と人とのコミュニケーションの可能性を広げることなのだと感じ、言語の学習を通じて人との関わり合い方やコミュニケーションのあり方について深く考えるようになりました。私の言語学習への強いモチベーションは、すべてここにつながっています。

 日本に帰り、大学を卒業して一般企業に就職してからも、ここで学んだことや感動したこと、出逢ったたくさんの温かな人たち、そして記憶から消えることのないドナウ河の美しい風景に、何度も何度もこの国を思い出し、励まされ、ハンガリーは自分にとってかけがえのない存在となりました。そして現在、呼び戻されるようにまたこの国へと帰ってきた今、再び語学学校へ通ってハンガリー語の勉強を進めながら、日本語学習者に日本語を教える生活を送っています。この国でこの先、自分に何ができるかはまだわからないけれど、自分と向き合い、この国と向き合って、人とのコミュニケーションを大切にしながら、少しずつ前へ進めたらと思います。