「なぜ私はこの国にいるのだろう…??」。ブダペストに来た翌朝からこれまで、何度そう思ったことでしょう。それはけっしてこの国や文化が嫌いだからではありません。自分の人生のなかで、東欧、しかもハンガリーに住むということをこれまで一瞬たりとて想像したことがなかったからです。
 ブダペストに到着したのは8月の終わり、気温が40度にまで上がった日でした。寒いと思っていた国でなぜこんなにも暑いのかと、飛行機を降りた途端に衝撃を受けました。空港からアパートまでの道のりには、過去に訪れたどこの国でも見たことのない雰囲気の建物が林立し、地元民の表情や街の埃っぽさに一抹の不安を覚えたことを今でも良く覚えています。しかし、住めば都とは良く言ったもので、それから3年が経とうとしている今では、日本からブダペストに戻ってくると安心すら覚えるようにまでなりました。
 考えてみれば、私がセンメルヴァイス大学医学部に来ることになったのは偶然が重なったからでした。日本の大学を卒業し、就職して仕事にもやっと慣れてきた頃、大学受験時に一度は諦めた医学という道が頭をもたげてきました。休日の書店で目に留まった社会人の医学部編入に関する本を購入するも、本棚の片隅に追いやり、いつしかその存在すらも忘れていました。それからしばらく経った頃、「この仕事が本当に私のやりたいことなのだろうか」と頻繁に自問するようになっていました。毎日ヒールを履いて必死にバランスを保ちながら満員電車に揺られ、お昼も夜もデスクで食べ、終電にダッシュする。目の前の仕事一つ一つからは学ぶべき何かが必ずあり、面白いと思える瞬間もある。しかし、充実感が無い。生き生きとしている自分がいない。もっと、目の前にいる相手のために、最後にはその人が笑顔になってくれるような、微力でもその手助けが出来る仕事がしたい。そう思った時に、いつか買ったはずの本を思い出しました。そして悩んだ末に、会社を辞めることにしました。
 日本の大学への編入か一般入試かしか考えていなかった時、偶然にもハンガリーの医科大学のことを知りました。海外で働きたいと幼い頃から思い続けていた気持ち、幼少期の英語圏在住経験から培った英語力を活かせるというメリット、そしてこれからは医師もグローバルになっていく時代なのではないかという考えが、強くなってきました。その年の受験にまだ間に合うという理由から、まずはハンガリーの医科大学を受験してみることにしました。もしあのタイミングで退社し、ハンガリーの医科大学のことを知り得なかったら、私はここには居なかったと考えると、不思議な気持ちになります。
 学校は、一言で表現するならば「たいへん」です。英語自体には抵抗はありませんが、親しみのある医療・生物用語は全て日本語です。想像以上に学ぶべきことが多く、勉強から遠ざかっていた時間も邪魔したのか、自分に合う勉強のスタイルを見つけるまでに少し時間がかかりました。こちらでは日本の大学に比べて口答試験が多いので、プレッシャーへの弱さが露呈し、今までは知り得なかった自身の弱さに直面しました。これまでとは全く違う環境だからこそ露呈した自分の改善点がいくつもあり、それに取り組むための学生としての時間を与えてもらえていることに感謝せずにはいられません。もちろん、常にそう思える訳ではなく、渦中にいる時には「しんどい!悔しい!どうして!」と苦悩していますが、辞めたいと思ったことは一度もありません。明確な目標と意志がある上に、社会人を経て「学べる喜び」を知り得たことは、私にとって大きな財産でした。また、同じ夢に向かって取り組む仲間がいることも非常に大きな支えです。
 昨年、日本人としては初めてハンガリーから卒業した先輩方が、今年の日本医師国家試験に合格しました。また現在は、センメルヴァイス大学だけでも50人ほどの日本人学生が切磋琢磨しており、ハンガリーにある医科大学4校を合わせれば、もっと多くの日本人が学んでいます。やはり母国の仲間といると楽しいし、安心します。一方で、センメルヴァイス大学の醍醐味の一つでもある、世界各国から集う学生と勉強出来ることも刺激的です。国柄や文化の違いは興味深く、各国の医療事情を分かち合うのも非常に面白いです。
 学校のカリキュラムを比較すると、センメルヴァイス大学の方が日本の医学部よりも実践的な授業が多いように感じます。例えば2年間ある解剖学では、入学したその週から解剖室で献体を扱います。6年次の1年間は各科を数週から数ヶ月かけて回り、各科の終わりに科末試験を受けます。そして締めくくりとして、6年間の全範囲から出題される筆記及び口答試問からなる卒業試験があります。この卒業試験がハンガリーの医師国家試験となっており、卒業すると医師としてEU圏内で働ける資格を得ます。日本の国家試験を受験する場合には卒業後に、日本の学生に混じって国家試験を受けることになります。
 ハンガリーへ来た当初は日本との文化の違いにも戸惑いました。日本のように物事が段取り良く進まないことも少なくありません。ハンガリー語が話せないためにきちんと対応をしてもらえないこともあり、熱り立ったこともありました。こちらの対応の仕方や心構えが分かって来るに連れ、苛立つことも少なくなったように思います。地下鉄やトラム、バスは充実しており、一部を除けば物価も安いので、渡欧前に想像していた以上にずっと暮らし易い街です。また、個人的には、ハンガリー人は日本人に対して好意的だと感じます。
 日本では定期的に「ドナウの真珠」と言われるブダペストの特集がBSテレビ等でされているようですが、ドナウの綺麗な夜景も普段は殆ど見る機会がありません。ただその夜景は本当に綺麗で、私は疲れた時にぶらりと河沿いへ行き、ブダ側にそびえる王宮と橋を眺めるのが好きです。余計な力が抜け、不思議と気持ちがすっきりしてきます。友人や家族が訪ねてきた時に一緒に観光をすると、普段住んでいるこの街が如何に歴史の残る素晴らしい街なのかを再確認させられます。せっかくヨーロッパにいるこの機会を活かして、卒業までには時間を見つけて周辺国を旅行し、多様な文化を肌で感じたいです。
 期せずして20代の大半を過ごすこととなったブダペストですが、ここでの辛かった記憶、楽しかった時間、仲間、全てが大切な思い出となり、将来必ず自分の糧になるのだろうと思います。医師への道のりはまだまだ長いです。しかし、この道を選んだことを後悔はしていません。どんな医師になりたいのか、どの専門ならば自分の長所を活かせるのか、何をしたいのか。常に将来像を描きながら、いつかここでの時間を振り返った時に悔やむことの無いように、いま学ぶべきことを学んでいこうと思います。支え、応援してくれている家族、友人に感謝しながら、これからも自分の道を自分らしく進んで行きたいと思います。

(よこやま・なゆ)