2015年夏の終わり、押し寄せる難民の問題は、自分の生活にもくっきりと足跡を残していった。日々めまぐるしく変化する情勢は、毎日のニュースについていくだけで精一杯、状況把握できずに不安だけが募っていった。加えて日本や周辺国であまりに断片的で浅はかな見解で叩かれるハンガリー関連ニュースには心を痛めた。そんな中、編集長盛田さんから送られてくる時事解説は、カオスと化していた頭が一息つける恵みのメールだった。
 このメールは日本の家族にはもちろんのこと、これまで子供の成長や一時帰国の予定についてくらいしかやり取りのなかった知人友人にも転送した。おかげでそれ以降は日本の政治や国際情勢もテーマに挙がるようになった。すっかりご無沙汰して新年の挨拶に落ち着いてしまっていたイギリス、ドイツ、スイスに住む友人とも交流が再開し、各国の状況を情報交換するようになった。
 スイスに、過去に様々な難民を受け入れたことのある村に30年以上暮らす音楽家の知人がいる。難民の現実の感覚をもつ彼女からは、「人権、人権というけれど、その国にもともと住んでいる人たちにも人権があり、人道にも限界がある。人間は、万人が安定した静かな人生が送れる環境を、戦って勝ち取らなければならないというところが難しいですね。同じことを繰り返して破壊を繰り返す、人間の本能と本質にあるものなのでしょう、どうすることもできないのでしょうかしらね」。そして、「どんなにアンテナを張っていても、その渦中にいる人と、ちょっと離れたところにいる人では、見えること、知り得ることにものすごく差が出ます。私はもっと現状を知りたいです。是非またそちらでわかることをいろいろ教えてください。」と返信があった。
 また、次のメッセージを受けてからは、難民問題が自分の身にもぐっと近づいたように感じた。「スイスという九州くらいしか面積がなく、そのほとんどが高い山で人が住めないところに、近年はアフリカからの人も増え、道や電車で見かける人々はスイス人以外の人たちが多くなった。言葉もいろいろ、特にロシア語系が増え、子供たちの学校にも難民や移民の子が増えて、スイス語やドイツ語を話せる子が一人もいないクラスまで生じる始末で、スイス人の親たちは私立学校に子供を行かせたりして凌いできているけれど、今後どうなるか。そしてこれが全部私たちの税金で行われるのです。スイスというと金持ちの国、金を出せという圧力がEUの方からもかかるけれど、やはり限りのあることと思う。でもEUはアメリカと同じように、思い通りにならないと制裁、という手段を使ってきます。野蛮極まりないです」。

 さて、私にはもう一つ、久々に頭をよぎることがあった。それはベルギー・アントワープ滞在時代に出逢ったモロッコ系移民の人々のこと。当時親しくなったベルギー人夫婦が毎年キャンピングカーで遊びに来ても、微塵も思い出すことなどなかったのに。
 ベルギーで暮らしたのは、今から12年前。ハンガリーに数年住んでから移った地だったので、生活を始めてまず目に留まったのは、いわゆる白人には既に目が慣れていて、「カールしたもみあげ・真っ黒な装束に身を包んだ正統派ユダヤ人」と、「頭のてっぺんからスカーフを被ったムスリムの人々」の姿だった。
 アントワープは世界最大のダイヤモンドの町。ご存じ、ダイヤモンドとユダヤ人は切っても切れない関係で、アントワープ中央駅の東側一帯にはユダヤ人のコミュニティが広がっている。この地帯に足を踏み入れると、アントワープが「西のエルサレム」と言われる所以がすぐに納得できる。ベルギー生活が慣れた頃には、ダイヤモンド鑑定士やカット職人などという人たちが身近になり、そのボスたち=ユダヤ人についての噂話を聞かされることが度々あった。
 一方、ムスリムの人々は、大半が1960年代に労働力不足を補うために呼び寄せられた外国人労働者で、そのままベルギーに残ったモロッコ系、トルコ系の移民。この頃には、既に二世、三世が誕生し、ベルギー社会の片隅で育っている最中だった。彼らについての話もよく耳にしたが、ブルッセルの近くにはムスリムのスラム街があるから気を付けてとか、知り合った女性教師からは、ムスリムの男子生徒は女性の先生を受け入れないから困っているとか、大抵が批判的な意見ばかりだった。娘を連れて公園に行き、あからさまにこどもたちを交らせないようにするベルギー人家族を何度か目の当たりにした時は、まったくの偏見ではあるけれど、植民地のあった支配国の国民らしいなあ、と少し憤りを感じた。
 しかもちょうどその頃に、隣国フランスで、公立学校で生徒の宗教的な標章の着用を禁止する、俗に「スカーフ法」と言われる法律が公布された。ベルギーでも頻繁に話題に挙がり、しかもそれが正当だという風潮があったように感じられたので、私には正直ショックだった。単なる同情もあったが、ハンガリーにも少数民族のロマの問題があるけれど、ここまで露骨な排他的空気を感じたことはなかったから。

 そして、フランスの同時テロが発生して容疑者の数人がベルギー出身だと聞いた時、大変に納得できてしまう自分が居てとても複雑だった。12年前のあの時、こども時代を送っていた若者が、今組織に加わっていたということだ。ベルギーは「テロリストの温床」とまで言われている。なぜ、ここまで放ってきてしまったのだろう。
 確固とした社会的地位があり上層に位置するユダヤ人と、下層を占めるコミュニティと化してしまったムスリムの人々が共存するベルギー社会。どうしたら健全に共生できるのだろう。今、ほぼ単一民族の日本でも貧困層の問題が浮上している。あちらこちらで社会の階層化について耳にする。万人が幸せに暮らせるよう、層を崩す努力をするのか、我こそはと上層にしがみつくのか、人間のいざとなって取る行動はどちらだろう。多文化共生社会の理想と現実について、手遅れになる前にもっと考える必要があると思う。

(もりた・ともこ ヴェスプリーム在住)