「犬も歩けば棒にあたる」、「蛙の子は蛙」、「猿も木から落ちる」。このようなことわざや故事や慣用句などを気づかないうちに日常生活で口にしたり耳にしたりすることが多いです。外国語を学ぶ時、ことわざや慣用句などをきちっと勉強するのは特に大切なことだと思います。どうしてでしょうか。それは日常生活でよく使われることわざ・慣用句が、言語によって、同じ意味でも違うように表されることが多いからだと思います。みなさんは、ある外国語が同じことわざをどのように表すのか、知りたくありませんか。その外国語における表し方は自分の母語における表し方とどのくらい違うのでしょうか。私は卒業論文で、その質問の答えを探しました。
 さあ、卒業論文を書くためのいい質問は見つかりましたが、書き始める前に、テーマを絞らなければなりません。長い間、「どのようにすればいいだろうか」と考えました。結局、私の好きな動物、犬に関することわざ・慣用句について研究することにしました。犬を選んだのにはほかにも理由があります。人間は犬と古代から特別な関係を持っています。約1万年前に人間は犬を野生動物から家畜にしました。時代と共に、犬は人間の生活の一部、そして人間の文化の重要な一部になりました。
 でも、犬に関することわざを研究する前に、ことわざ・慣用句の定義や種類や使い方について調べなければなりません。様々な論文や大辞典などを読んで、「ことわざ」と「慣用句」がハンガリー語に存在している「közmondás」と「szólás」という文法的なカテゴリーに非常に似ていると気づきました。これを見て、改めて日本語とハンガリー語の比較について述べる論文を書こうと決めました。
 その後、やっと犬に関することわざについて研究し始めることができました。初めに、ハンガリー語と日本語における、犬に関することわざ・慣用句の比率を調べました。結果は次の通りです。ハンガリー語では、動物を用いたことわざ・慣用句の中で、犬が登場するものは全体の22.4%です(O. Nagy Gábor , Magyar szólások ésközmondások, 1982)。一方、日本語では6.4%です(朱 銀花「日・中・韓三国の言語における犬文化の考察」歴史文化社会論講座紀要、2009年)。相違の理由には意味論的理由や文化的な理由があると考えられます。
 次に、日本語とハンガリー語におけることわざ・慣用句は犬のことを肯定的なキャラとして表しているか、それとも否定的なキャラとして表しているかについて研究しました。この分析の結果に私はびっくりしました。日本語もハンガリー語も同様に、犬に関することわざ・慣用句には否定的なものの方が肯定的なものより多いです。ことわざ・慣用句では犬は大体下等で、臆病なキャラや裏切り者として登場します。例えば、「飼い犬に手を噛まれる」、「家の前の痩せ犬」などです。このようなことわざ・慣用句の数は日本語では68%、ハンガリー語では83%です。現在、人々は犬と聞くと、可愛さや、忠実さや、従順さなどのようなポジティブなことを連想するので、この結果はとても思いがけないことだと思います。
 次に、日本語とハンガリー語における犬に関することわざ・慣用句の共通点と相違点を研究しました。この分析にForgácsTamás(フォルガーチ・タマーシュ)という研究者による方法を用いました(ForgácsTamás, Bevezetés a frazeológiába, 2007)。その方法によると、二つの言語で共通する表現は全体の55.9%です。一方、異なる表現は44.1%です。日本とハンガリーの間の言語上の相違や文化的な相違から見て、このような高い割合の一致は意外だと思います。意味も言い方も同じことわざは例えば次の三つです。
 「吠える犬は噛みつかぬ」(Amely ikkutya ugat, az nem harap)「犬と寝る者は蚤をしょって起きねばならぬ」(Aki kutyával hál, bolhásan kél)「犬も食わぬ」(A kutya sem eszi meg)結果として、日本語とハンガリー語のことわざ、慣用句の間には、様々な類似点と相違点があることが分かりました。また、相違点より、類似点のほうが多いことが分かりました。正直に言うと、私はその結果を予期しませんでした。これは「すべての疑問は重要だ」ということのいい例えだと思います。どんなに答えが明らかなように見える疑問でも、調べたら、とても興味深いことが分かるかもしれません。そして、新しい知識と次の疑問を持って前に進むのは非常に大切なことだと思います。私はこれからも色々な質問に対する答えを探して、自分の知識を広くしたいです。

(チサール・カルメン)