初めて日本に行ったのは、2015年9月であった。1年間、東京の江戸川区船堀に住んでいた。その前、大学で日本の文化についての授業があったけれども、日本に住んでから最初の2、3ヶ月は、何も知らないという感じがしていた。例えば、ハンガリーでは、道を歩きながら、何かを食べてもいい。しかし、日本ではあまり行儀がよくないことだというのをぜんぜん知らなかった。「皆がじろじろ見ているんだけど…どうしてだろう?」と考えていたら、答えがパッと出てきた。その時、歩きながら、ずっとメロンパンを食べていたのであった。恥ずかしくなった私は、顔が赤くなってしまった。しかし、それから、道で歩きながら何かを食べたことはなかった。このような記憶はいくつかある。それは悪い記憶かと聞かれたら、ぜんぜん悪くないと答えられる。

 風邪を引くとティッシュで鼻をかむことは、ハンガリーでは当然である。私はあのころ、エアコンに慣れないせいで、よく風邪を引いてしまった。ある時、鼻をかもうとしたら、日本人女性の友達はこれを見て、びっくりした顔をしていた。私が「どうしたの?」と聞くと、彼女は私をお手洗いに連れていき、「ここならいいよ」と言った。その時、私もびっくりした顔をした。多分、彼女はその理由を分からなかっただろう。私は「文化についてまた一つ勉強してよかった」と思い、人前で鼻をかむことをやめた。

 ハンガリーで大学に通っている間に、日本の年中行事や、歴史や、食文化など、いろいろなことについて勉強したが、それでも日本に来てみると、数多くの習慣が私にとって新しかった。時間が経つにつれて、日本に住むことに慣れた。なぜかと言うと、何か分からなかったら、質問をし、周りにいる日本人から学ぼうとするようになったからだ。私はこの新たな生活を好きになった。好きになったというより、大好きになった。最初の日から好きだったが、ふるまい方をよく知らなかったのであった。子供のころから自分の母国の習慣は勉強してきたが、日本に行ったら、もう一度知らない世界について勉強しなければならなかった。言うならば、もう一度子供になったということだ。先生たち、日本人の友達、皆から様々なことを教えていただいた。

 住んでいたアパートの近くのスーパーで働いていたレジの人にもたくさん手伝っていただいた。そのスーパーには一週間に3、4回も行ったものであった。普通はお客さんは店員に挨拶せずに入るが、私はいつも従業員に「こんにちは」と挨拶した。初めはもちろん、皆びっくりした。しかし、数ヶ月後は、そこに勤めている日本人は私の挨拶に慣れ、逆に、「こんにちは」と言わずに入ったら、非常にびっくりするようになった。私にとっては、日本人が外国人の自分の習慣を尊重してくれている感じであった。もしかすると、おかしいと思っていたかもしれないが、私の奇妙な習慣を受け入れてくれた。日本人のやさしさに私は強くこころをうごかされた。よくハンガリーの文化についても聞かれた。私も情報をあげられた。こうしてまわりの人たちとお互いに教え合い、私たちの世界は少しずつ変化していった。

 私はその新しい世界で、その留学の1年間の終わりにもう一度大人になった。というよりも、思春期の若者になったと言ったほうがいいだろう。まったく日本人のように振る舞うことはまだできないからだ。しかし、教えていただいたことに心の底から大変感謝している。友達もたくさんでき、私にとって日本はだんだん第二の故郷になってきた。帰国した時、私は心の半分を東京に残していた。また日本に行くなら、外国に行くのではなく、帰るという気持ちがする。

(ペツェ・アーゴタ)