外国語を勉強している人たちはいったいなぜその外国語を勉強し始めるのでしょうか。言語の知識が仕事に必要だから、あるいは外国語を勉強するのが好きだからなど、理由はいろいろあると思います。それから、どんな気持ちをもって学習を進めるのかも、人それぞれだと思います。
 私が日本語と出会ったのは高校生のころでした。双子の弟が日本のアニメをいくつか紹介してくれたときに、初めて実際に日本語を聞きました。声優の沢城みゆきさんや神谷浩史さんなどの声を聞いて、日本語がすぐに好きになって、大学の日本学科に入って日本語を勉強するという重大な決意をしました。大学からようやく合格通知をもらったときには、「よしっ!このチャンスを逃がしてはいけない!本気を出して精いっぱい頑張ろう」と決心して日本語を勉強し始めました。以前、高校ではドイツ語と英語を習っていましたが、それは自分自身が決めたことではなかったので、日本語を勉強し始めたときに、自分で選んだ外国語を学習するのはこんなに楽しいものなんだと初めて体験しました。
 そのときからもう3年間も経って、現在はエルテ大学日本学科の卒業生です。先生方に対して本当に感謝の気持ちでいっぱいです。この3年間はあっという間に終わったと言っても間違いないと思います。正直に言うと、ひらがなやカタカナを教えていただいたのもまるで昨日の出来事のように感じています。しかし、よく考えてみたら、この3年間でたくさんのことに挑戦したりできて、新しい経験がいっぱいでした。

 日本語の勉強は私にとってどのようなものだったかというと、楽しく勉強できたとも言えますが、やはり簡単には行かなくて大変なこともありました。日本語で何が一番難しいかとよく聞かれますが、アルファベットを使っているハンガリー人の私にとって一番難しいのはどう考えても漢字です。書けるはずだと思った漢字が書けない、もうずいぶん前に習った漢字なのに読めない、ということが多くて、そういう時に本当に悔しい気持ちになります。ずっと練習していけば、結果が絶対に出るはずですが、自分が想像したほど上手くはできないことに気付きました。
 難しいのは漢字だけではありません。どんな言語を勉強しても、文法の説明を理解して練習するのが一般的ですが、言語の学習がそれだけでいいというのは甘い考え方だと思います。実際に母語話者と話さないとわからないことや、教科書には見られない言い方がたくさんあるでしょう。だから、私はそういう「日本人らしい」表現や言い方の中から一つ選んで卒業論文のテーマにしようと決めました。
 日本語を学習するにあたって、大きな壁をいくつも発見しましたが、「否定疑問文」はまさにその一つだと思います。なぜかというと、否定疑問文に対しては肯定か否定の判断がなされますが、何に対して肯定または否定なのかは、場面によって違うからです。たとえば、Aさんが本当に高いか安いかわからなくて「これ、高くない?」と聞くとき、Bさんに期待されている答えは「うん、高くない」または「ううん、高い」になるでしょう。しかし、質問者が値段を見て高いと思いながら「これ、高くない?」と聞くときは、期待されている答えは「うん、高い」または「ううん、高くない」になります。
 また、調べているうちに、否定疑問文には様々な意味や意図が隠れていることがわかりました。例えば、「この部屋、少し暑くないですか?」という質問では、「暑くない部屋の方がいい」つまり、「窓を開けてほしい」という諭しのような意図を表すことができます。
 日本語の否定疑問文についての論文をいくつか読んで感じたことを簡単にいうと、「言葉は文化である」ということです。日本人はおそらく否定疑問文を自然に使っていますが、外国語として日本語を勉強している私にとってはその使い方はあまり簡単ではありません。この用法を使えるようになりたいです。それから、もっとたくさんの知識を得られるように、また、日本人の方々に対して敬意をもって話せるように、卒業論文を通して、もっと日本語を上達したいと思うようになりました。
 ここまでの道のりはたまに辛かったかもしれませんが、やはり外国語を勉強するのはとても楽しいです。今の私が毎日を楽しく過ごせるのは日本語のおかげだと思っています。それに、日本に行きたいという気持ちもとても強くなりました。もし、より深く現代日本語に関して研究したいなら、日本にいかなきゃだめだと思います。今学期、文部科学省の奨学金に応募して、日本に留学できることになりました。私が大好きな「日本人らしい表現」を研究して、これからも前向きに頑張っていきたいと思います。

(サボー・ダーニエル)