干菓子。そう、彼女の雰囲気を表すにぴったりな、日本を代表するお菓子があります。見た目にもかわいらしく控えめな色使いの干菓子を、左手で受けながら、くずれないようにそうっとつまんで舌の上にのせる。すると品のよい甘味が口の中いっぱいに拡がって、気がつけば遠く懐かしい昔を彷彿とさせ心震わせるそれは、小さく可憐でありながらもしっかりと自分を主張しています。クリスはまさにそんなお砂糖菓子のような女の子、それが私の第一印象でした。

 2007年4月、初めて小5−6年生の複式クラスを担当することになった私は、彼女と出会いました。いつもうつむき加減でひっそりと座っている彼女でしたが、授業での真剣なまなざしには大変心を打たれておりました。あまり自分を出そうとせず、ふうわりとした容貌でもきらきら輝く瞳を私に向けてくれる彼女を、私は本当に日本のことが好きなんだなあと、ほほえましい想いで見つめておりました。休み時間になってもクラスメートたちとおしゃべりに夢中になることも少なく授業の予習をしているような、ひたむきにがんばっている少女、いつしか私は、彼女をげらげら笑わせてみたいと、少年のような思いを抱きました。

 クリスの、はんなりした微笑に出会うことのできた日には、一日中なんだか心がほんわかあったかくなりました。気がつけば落ち葉のじゅうたん。あっという間に冬が来て、複式クラス初めての学習発表会がやってきたのです。日本文壇を代表する紫式部、松尾芭蕉そして宮沢賢治に関する資料を共同制作して発表し、傍らでは歴史的背景を踏まえての寸劇にもチャレンジする、という盛りだくさんの内容で展開しました。宮沢賢治も、寸劇を作って生徒たちに演じてもらい楽しんだ、とのエピソードが残っていますが、この寸劇でクリスは、宮沢賢治に扮してくれました。

 本番間近となりいよいよ立ち稽古を迎えたある日のこと、松尾芭蕉役の男子児童にクレームが入りました。「もっとおじいさんっぽく、もっと表情豊かにせりふをしゃべったら?」。

 最上級生のある生徒の一言に彼は奮起し、ユニークで愛嬌たっぷりの芭蕉へと、みるみるうちに変身していったのです。私をはじめ、クラス中が笑いの渦。すると、彼の横で宮沢賢治になりきっていたクリスが、もの静かで「クスリ・・!」としか笑わなかった彼女が、顔を真っ赤にして腹を抱え、涙を流さんばかりに足までばたつかせながら全身で笑っていたのです!

 「ああ、よかった・・!」
あのときの姿は今でも鮮やかに心に刻まれています。なぜ「よかった」なのか、よくわかりません。いつも彼女を笑わせることが大好きだった私にとって、至福のひと時でもあり、最高の思い出となったのでした。

 それまで、彼女の過去はほとんど知りませんでした。2008年も引き続いて複式クラスを担当するようになって始めた、クラスの生徒と私との秘密の交換日記に書かれた彼女の言葉を読むまでは。チョコレートの香りつきのノートの、その紙面上に淡々と語られていた彼女の言葉に、私はその簡潔さとは裏腹に秘められたクリスの悲しみの深さを読み取ってしまいました。一女の母である私ですが、私の娘と彼女がシンクロしてしまった瞬間だったのかもしれません。震えが止められず、抱きしめてあげたい思いでいっぱいになっていました。その年の初夏の頃、宿題に出した彼女の日記から、お母様までもが天に召されたのではないかとわかり、切なすぎて涙が止まりませんでした。

 翌週、彼女はいつもと変わらない様子で補習校にやってきました。私は日記の内容を問いかけることもできぬまま、文法や漢字の間違いを添削したその作文用紙を彼女に返し、相変わらず彼女を囲んでクラスメートたちとおしゃべりに花を咲かせ、クリスを笑わせる機会があらばと、様子を伺っておりました。こうして夏休みが過ぎ、やがて真実を、クリスの祖母さんのお口から聞かされることになりました。

 今回いただいたクリスの祖母からの手記ですが、干菓子のような彼女の身の上に起こった過去の、その時間の重圧に押しつぶされてしまいそうな気持ちでいっぱいになりました。クリスはいつもと変わらず、むしろそれまで以上に日本語に前向きに取り組むようになっています。長い冬の明けるときを知らせる、雪の花にも似た凛凛とした強さをも感じさせるような、相変わらずきらきらとした眼差しを私に向けながら。

 彼女が楽しみにしている宿泊学習を終えて新学期が始まると、クリスさんは中学1年生に進級することになっています。、私はいつまでも彼女の笑顔を見守りながら時を過ごしていくつもりです。あの、顔を真っ赤にしながら笑い転げて流していた彼女の涙を、大切に、両手のひらにそおっとひろいあつめながら・・・。