「こちらはJ-CATの○○さんです」。私たちはこのように紹介されることがたびたびです。「う〜ん? J-CATってなに…?」。
これは外務省の派遣事業の一つ「日本文化発信プログラムによって派遣されたボランテイア」を指しています。このプログラムは昨年1月末より中・東欧4ケ国(ハンガリー・ポーランド・ブルガリア・ルーマニア)に於いて実施されています。このハンガリーには7人の大和撫子(死語かな)が派遣され、あたかもそこの住民になるべく日々の暮らしを目指し、1年になりました。
 7人はそれぞれの地(ブタペスト・ヤースベリーニ・ベスプレーム・カポシュバール・ミシュコルツ・デブレツエン)で、大学または高校に所属し、日常的に日本語の指導を行い、それに伴う日本事情や日本文化の紹介を幅広く行っているのです。

 2009年1月28日どんより曇り空のハンガリーに入国し、それからわずか十日目からそれぞれの地での一人暮らしがスタートしました。
ブタペストに派遣された私はと言えば、まずは鍵の文化にカルチャーショックを受けました。バス・トイレ・キッチン付きのワンルームのアパートですが渡された鍵はなんと6つ。ドアの前に鉄格子のドア『私は看守?』と、この国の苦難の歴史をちょっぴり感じました。
 それからは地図を片手に、住所を頼りに、覚えたての「Hol van a 〜?」を誰彼かまわず使い、行かねばならぬところへなんとか行き着くという日々、お陰様でバス・地下鉄・路面電車を難なく(?)マスターしていったという訳です。こうなればスーパーでも市場でもレストランでも××通りでも本屋でも・・・。幸いブタペストにはもう一人派遣されており、相棒と共に必要に応じ出かける楽しみもおぼえました。すっかり慣れてきたのが「テラスでお茶」のできる頃でした。街並みの緑を楽しみ、木々の手入れの良さに感心し、人々の遠慮がちな親切が心地よく、このブタペスト暮らしがすっかり気に入っていきました。
 チーズ、ヨーグルト、ハム(ちょっとしょっぱい)等がとてもおいしく、グリーンアスパラガス、ホワイトアスパラガスの甘くて新鮮なこと(旬を外すとすぐ店頭から消えてしまう)、また日本と同じようなカブ、白菜があり、これを使えば日本風なおかずも作ることができ、一番大切な食事にも不満はありません。さすがにお米だけは気に入ったものを常備していますが。今凝っているのは近所のスーパーで買える「もやし」。日本に比べ値段は格段に高いのですが・・・炒めたり、ゆでて酢の物にしたりと一人悦に行っています。

 一年経って感じていることは、私のハンガリーに対する好意的な気持には、ハンガリーの人々も日本に対し好意的な気持になってくれるということです。互いにより深く相手を知ろうとする気持ち、それが相互理解につながり、互いに敬意を払う関係になっていくものと思います。

 「Budapest 春の祭り」、「アニメコン」、各地の日本友好協会が行った「日本の日」そしてハンガリー人日本語学生友好協会の「日本文化祭」、不特定多数の人を対象とした中央市場での「日本の日」などなど、たくさんのイベントに参加し、文化紹介・体験を行いました。そこではいろいろな分野における日本通のおじさま、おばさま、日本語の美しさにしびれているという高校生、さらに浜崎あゆみを熱唱するこれまた高校生、「どうしても日本に行きたい!」という大学生、高校生・・・多くの人々に出会いました。
 どうして?なぜ?日本なの、日本語なの・・・?私には未だ解りません。アニメやJ-POP はインターネットの普及で日本とほぼ同時に視聴できる今、当たり前に自分のもののように吸収している若者、オリンピックや世界大会を通じ広くヨーロッパで愛好されている武道、ハンガリーをはじめ世界各国で折り紙を愛好している方々の作品、これは日本の折り紙の概念を超えたペーパークラフト、まさに芸術作品、いろいろなところで出会う【ハンガリー版日本】、日本以上に日本らしく・・・・。何がこれほどまでに昇華させるのでしょう。このような地で私ができることは、しなければならないことは何でしょう。
 四季のはっきりした日本、自然に恵まれた日本、この四季を、自然を生かした暮し、暮しの工夫から生まれたさまざまな伝統行事、伝統文化、これを脈々と伝え日常生活に取り入れている私たちの日常、これを素直にありのままに伝えること、これが広く日本を知らせ、日本への興味を深めるきっかけになると考えます。
「愛」だの「侍」だの「武士・雅など、習っていない漢字を嬉しげに書いて見せる姿、これは興味・好きから何が何でも覚えたいという欲求、それがますます日本への熱い視線につながっているのではないでしょうか。毎日の日本語授業に出てくる言葉づかいやいろいろな場面、これらを学ぶなかで疑問を感じ、なぜと考えて いく、納得をする、そのなかで日本への興味も深まるものと信じます。
 2年間という限られた派遣期間、頬をなでる一瞬の風、波紋を広げる一石になるよう活動に励みます。