いつからか、旅行先や日本からこの国に入った時に’戻ってきた’感覚になるようになりました。ハンガリーは今や私にとって、外国でもなく、単なる留学先でもなく、愛すべき地元です。はじめ留学すると決まったとき、友達からはハンガリーってどこ?なんでハンガリーに行くの?などと聞かれました。十代だった私は、自分で決めたことながらも少し恥ずかしく思うこともあったし、もっと耳慣れた国に憧れを感じたりもしました。語学教室でのはじめての授業で「さようなら」の一言を習った瞬間は、絶望すら感じました。あれから5年、帰国を半年後にひかえた今、私は胸をはってハンガリーに留学してよかったと言えます。外国人である私に対して、何の差別もせずに熱心に教えてくださった先生方、学校で毎日笑顔で話しかけてくれたクラスメートたち、降りる駅を教えてくれたバスの乗客のおじいちゃん。なんだか垢抜けない、どこか影のあるハンガリー人ですが、その温かさには何度も救われました。

 ゆっくりと時間が流れるこの国で、素敵なものを素敵と思える時間や、自分を見つめる時間は、日本にいたときよりも多くとれました。そんな中で、もちろん日本人であることへの誇りや日本人らしさを再確認することもあったし、逆に日本でメディアや本などからの情報だけでは知り得ることのできなかった外国人の価値観や視野も知ることはできました。しかし、私なりにたどりついた結論は、やっぱり人間はみんな人間であるということ。楽しいときは心から笑い、悲しいときは涙を流して泣く。困っている人がいたら助けてあげて、悲しんでいる人がいたらなぐさめてあげる。単純なことです。見た目や言語が違うだけで全く違う人間に思いがちで、来てからしばらくは自分らしくいられないことが多く疲れることもしばしばでした。しかし留学生活の後半はいつでも自分らしくいれるようになり、友人も増えました。それが冒頭で述べた、’戻ってきた’という感覚になったことにもつながるかもしれません。みんな違ってみんないい。そんな感覚になれたとき、私とハンガリーという国の距離感は一気に縮まりました。

 留学の目的であった音楽の面でもたくさんのことを学びました。試験前どんなにつらくても、毎日の練習が苦痛でも、音楽そのものは日を重ねるごとに好きになっていきました。こちらの先生方は、あまり頭ごなしに否定することをしません。常に共通して教えていただいたことは、心から音を楽しんで、その気持ちを表現して伝えること。こうしなさい、ああしなさい。ではなく、こうしたい、あぁしたいと思える感性を育てていただけたことは私にとって一生の財産になりました。今後、ここで学んでいた時間がどんどん昔のことになってしまうけれど、ここで教わったことを忘れることなく、今後ももっともっと音楽が好きになれたらと思ってます。

 好きこそものの上手なれ。
 それが上達につながると信じて。