最近、大学へ行く途中、楽しく談笑している高校生の集団とすれ違った。耳に入ってきた「受験」や「修学旅行」の言葉に、高校生時代のある懐かしい記憶が甦った。
 ある秋の朝、太陽がまだ地平線の彼方から昇ってこようとしている時間だった。こんな薄暗い世界の中で、自分はもうバスを待っていた。眠い表情のままバス停におもむろに集まる学生たちと、近くの郵便局で朝早くから仕事にいそしんでいる人々の姿以外、人気は少ない。この季節らしく肌寒い、いつもの秋の早朝の光景が目の前に広がっていた。バスもいつものように遅れるようだった。時刻表に書かれた時刻からは最早20分遅れていたが、自分はそれでも待っていた。あの日は「鋼鉄の街」に行く為に、待っていたのだ。「鋼鉄の街」という名を聞いたら、みんな何らかの不思議な物語の世界の街を思い描くであろう。ところが、自分の目的地は普通の街の普通の学校であった。そこの正式な名称はDunaújvárosである。が、「鋼鉄の街」と呼ばれる理由はちゃんとあるのだ。
 そんなことを考え始めると、バスが来た。思考を止めて、足早に乗って、外で冷えた身体を車内で暖めた。そうすると、40分くらいの遅れも忘れていってしまうものだった。やがてごく自然に考え事を続ける自分がいた。「鋼鉄の街」がもし本当に何か神秘的な場所だったら、今向かっている学校は牢獄あるいは迷宮であろうという妙なことを思ってしまうのは、自分がオタクだからだろうか。といっても、この街には実際に幾つか面白いことがある。1つは、この街は百年前にはだれにも知られてい製鉄所が街を産んだのだ。そして、製鉄所と街の間には今もその「母」と「子供」のような強い関係が残っている。そこで、ふと「なぜだろう?」という質問が脳裏を過ぎって、先生に聞いた話を思い出した。
 戦後、ハンガリーはソビエトの強い影響を受け、ここも共産党が支配するようになった。ソビエトの思想においては重工業の発展が重要だったが、ハンガリーは昔から農業の国で、鉱物も製鉄所も余りなかった。だから、無理矢理にでも建設しようという考えが生まれた。その時、この製鉄所で働く工員の集落として、街が建てられたのだ。それまで何もなかった場所に真新しい舗装路が敷設され、その両脇に高いコンクリートの建物が次々に現れた。工事に十数年もかかったのち、ついに街は完成した。名前はスターリンへの敬意を表すために、「スターリン町」になった。しばらくして、Dunaújváros(ドナウの新しい町)に変わったが、それでも、ここは長年、共産党の誇りの場所であった。
 急にバスのブレーキがかかって、僕は我に返った。歴回想を中断し、ぼんやりと車窓から外を見たら、もう街の入口まで差し掛かっていた。そこには韓国の会社の近代的で巨大な工場がそびえている。バスが小さな村のような郊外を通って、中心部が見えてくると、その風景は自分の思いを裏切った。何も変わっていない、まったく同じコンクリートの建物の群れがいつものように時間の流れに耐えていた。「建てられた時からきっとそのままだ」という印象を持った。バスが終点駅に到着したので、僕は自分の体を引きずるようにして降りて、そこの広場の向こうにある映画館の時計を見やった。まだ早かった。でも、その建物をよく見ると、いつかの懐かしい思い出が湧いてきた。何年か前の真冬、この建築物は「映画館」と言うより「冷凍庫」と言ったほうが相応しかった。その時、暖房が壊れていて、映画を観ている間、厚い服を着ていても寒かったのだ。時間が経って、もう面白くて懐かしい思い出のひとつと思えるようになった。
 一時限目までまだ時間があったから、街外れに広がる川に面した公園に行こうと思った。ここは、この街の中で自分の憩いの場所だった。都市は高台の上にあるから、川辺まで行くためには長い階段を降りなくてはならない。階段の一番上の辺りで川のほうを見渡すと、まるで山頂に立って下を見下ろすような感じだ。そこからゆっくりと流れるドナウ川とその向こうに広がるハンガリーの大草原が一望できる。川の灰青色と、オレンジ色に染まり出した夜明けの空と、無限に続くように感じられる草原の緑が混じって、絶景が開けていた。数分、佇んでこんな自然の美しさを鑑賞してから、近くのベンチに座って、市のほうを振り返った。自分に色々な大切な思い出をくれた街。朝日に照らされたその都市は、たとえ評判がよくなくても、自然が多く、通りが広くて、ほかの大都市とは違う、落ち着いた雰囲気のある場所だと思った。昔、ここの工事を管轄した建築家などが住みやすい都市をつくろうと思ってこの街を設計したおかげだろうか。今、まだ彼らが生きているなら、どう思っているのだろうか。僕は携帯電話の時刻表示を見て「そろそろ行こうか」と呟いて、名残惜しい気持ちを胸に、学校のほうへ立ち去った。
 あの時以来、あそこには行っていない。最近あの景色を思い出すと、もう一度あんな静かな夜明けをあそこで観たいという気持ちになる。いや、今度は自分が見たいというより誰かに見せてあげたいという不思議な気持ちに心が満ちた。あれを観て、自分のようにあの場所のことを好きになってくれる人がいつか現れるのだろうか。

(ヴレタ・ダーニエル  ELTE日本語科学生)