家族、友人、日本にしばしの別れを告げこの地に降り立ってから2年が過ぎました。私は日本の音楽大学を卒業後、フリーターをしながら今後の自分の音楽生活についてどうするべきか途方に暮れていました。しかし、考えるだけでは何も進まず、かといって音楽から遠ざかる生活がどうしても嫌だったので、母校の音大に研究生として半年間在籍しました。その時に丁度、特別講師としてレッスンにいらっしゃったのが今の声楽科の先生です。その先生からお声を掛けて頂き、ハンガリーに留学することになりました。
 初めの1年はペーチ大学のオペラ科に在学していました。学校は私以外全員ハンガリー人です。家もハンガリー人の女の子3人とルームシェアをしていました。英語も満足に話せない、ましてやハンガリー語なんて全くわからないという状況で私のハンガリー生活は始まりました。
 やはり言葉の壁は分厚く、ハンガリー人の中には英語を全く話せない人もいるので、そういった人とはコミュニケーションが全く取れない状態でした。しかし、早くみんなと話がしたいという思いが強かったので英語もハンガリー語も勉強し、少しずつ友達ともちゃんと話せるようになりました。学校の友達もルームメイトも皆とても親切で優しく、今でも忘れられない思い出がたくさんあります。
 そして、1年が過ぎた頃、先生がリスト音楽院へ転勤することになり、私も一緒に転校することになりました。「リスト音楽院のオペラ科はとても忙しい」と聞いてはいましたが、実際に入ってみると想像以上でした。歌唱の先生とのレッスン、伴奏の先生とのレッスン、指揮者の先生とオペラの中の役を勉強するレッスン、演出の先生による舞台演習のレッスンがそれぞれ週2回ずつあります。学期末にはアリア試験とオペラ試験があります。アリア試験が終わるとオペラ試験のリハーサルが約1ヶ月間朝から夜まで休みもなしに毎日あります。オペラ漬けです。
 私はハンガリーに来てから初めてオペラを勉強しました。オペラにはもちろん素晴らしい声やテクニックも必要ですが、やはり演技力がなければいけないんだと身をもって実感しました。演出の先生はとても斬新な演出をする先生なので日本ではなかなか考えられないような演技や動作を要求されます。ハンガリー人はとてもセンスが良く、演技も自然で舞台上での動作もとても上手です。最初は戸惑ったりわからなかったりしたことも多かったですが、演技も歌と同じで、練習すれば上手になるということもわかりました。
 そして、年の6月、学年末のオペラ試験がなんと夢にまで見たオペラハウスで行われました。いつも客席から見ている側だった自分がまさかあの大きな舞台に立つなんて誰が想像できたでしょうか。初めてステージから客席を見たときの感動は、まるで映画の中にいるような、言葉には表すことのできないものでした。
 しかも、私はありがたいことに、大きな役をもらうことができました。ところが、歌はハンガリー語、そしてハンガリー語の台詞もたくさんあったのです。ハンガリー人の前でハンガリー語の台詞で演技をしてハンガリー語で歌う・・・もう、どう頑張ってもごまかすことなんてできません。もちろん、どんなオペラでもごまかすことなんて許されませんが・・・。
 オペラの稽古が終わった後や空時間はとにかく必死に練習をしました。時にはうまくできない自分に悔しくて涙を流したこともありました。しかし、先生方やオペラ科の仲間たち、友達たちの協力と支援のおかげで本番はミスをすることもなく、大成功に終わりました。お客さんからの拍手を聞いていると頑張ってよかったと心から思いました。ひとつのものをみんなで作り上げる作業というのは、こんなにも大変で、でも楽しく、そして達成感がものすごい、こんなにも興奮するものなのかと感じました。私はすっかりオペラの虜になってしまいました。今までは見る側でしたが、今度は自分が演じる立場として虜になってしまいました。
 ハンガリーに来てから経験したことのないことをたくさんさせてもらい、そして可能性を最大限引き出そうとしてくれる先生方にはとても感謝しています。もちろん、日本で応援してくれている家族や友人、そしていつも支えてくれるたくさんの人たちにも本当に感謝しています。
 2年前、日本から飛び立ち、いざハンガリーに到着しようというその時、飛行機の中からブダペストの街並みが見え、私は不安でたまらず一人で泣いていました。しかし、今はハンガリーに来て本当によかったと思っています。何度見てもため息が出てしまうほど綺麗なドナウ河を見るたびに、ここに居る喜びをひしひしと感じます。でも、やはり歌っている時が一番幸せです。
 残り半年ほどの学生生活ですが、悔いの残らぬよう、そして夢は大きく!これからも日々精進して頑張りたいと思います。

(いまい・あやね)