私がハンガリーに初めて訪れたのは、2013年4月のことでした。日本の音楽大学の修士課程を卒業し、幸運にもそのまま母校でお仕事をさせて頂く機会に恵まれ、音楽に携わることができる生活を卒業後3年程送っていました。しかし、心の隅にどこか晴れない霧のような思いが、常に自分自身の中にありました。その思いというのは、難しい複雑なものではなく、もっと楽器を学びたい、そして音楽を学びたいという単純な思いでした。
 しかし、その3年間私は日々の生活に追われ、そんな単純な思いにも関わらず、どこかで蓋をして今ある状態のままやり過ごしてきてしまいました。「音楽の世界はもちろん、どのような世界も、一つのことを続けるには一生涯勉強に終わる覚悟を持ちなさい」。そう教えて下さった日本での恩師の言葉を思い出すたび、その頃の私は現状に甘んじている自分に恥ずかしくなっていたように思います。
 そのような状況を脱するきっかけとなったのが、昨年4月初めて訪れたハンガリーでの、ラカトシュ・ジョルジー先生のプライベートレッスンでした。その時の初めてのレッスンは今思い出しても、心臓が縮まります。あまりの緊張に、自分の音もよく聴こえず、音も震え、膝も笑っていました。それでも先生は最後まで、その当時の私ができる限りのことを全て引き出すように指導して下さいました。私が、ハンガリーに留学したいと感じたのは、この時に先生のおっしゃることに納得のいく対応ができなかった悔しさと、先生の表現や音楽をもっと理解したいと強く思ったためです。そして、昨年度の後期からリスト音楽院に留学することができ、ラカトシュ・ジョルジー先生、ケスレル・ジョルジー先生の両氏に師事することができました。
 何もかもが新鮮なハンガリーでの留学生活の中で、私が何より感じた事は人々の温かさです。先生方をはじめ、クラスメイトの皆、そして近所の方まで、言葉もろくに話せなかった私を暖かく迎え入れてくださいました。

 また、日本との音楽教育の方向性がまるで違うことを痛感しました。日本では、音楽に対する評価が減点法になってしまうことが少なくありません。もちろん全てが減点法ではありませんし、日本には日本の独自の良さがあります。しかし、わたしは日本で教えられたように、こちらに来てすぐの頃は、「間違えないこと」に囚われがちで一喜一憂していました。それを覆したのは、先生のレッスンでの言葉です。先生は「間違えることに問題はない、常にその瞬間に何を表現しようとしているのかが問題だ」と真っ先に教えて下さいました。一方で、良いときには心からの祝福が、悪いときにははっきりとした厳しい答えが返ってくるのも日本とは違う特徴です。そしてそれは、この国の人々の演奏や聴衆にも顕著に表れていると感じました。また、音楽の表現の中で、自分の国をとても愛して誇りに思っていることが伝わってくるときがあります。そのように思わせる原因は何なのだろうかと問わずにいられませんでしたが、その答えのヒントを得ることができた体験がありました。それは、先生のお宅にお邪魔する機会があり、ご家族と一緒に夕食を頂いた時のことです。テーブルにつくと、私も含め皆手をつなぎ、目をつぶって食前のお祈りをしました。初めての経験のわたしは呆気にとられていましたが、そんな私を横目に食後にも子供たちが自分の親(先生)に食事を用意してくれたことへの感謝の気持ちを伝えていました。こんな風に神様や家族を大切にし、日常の中で自然と感謝をしていることが音楽の中に繋がっているのではないかと思ったのです。
 私は、この12月でハンガリーに来て丁度1年が過ぎました。まだ1年、もう1年、正直なところ気持ちは半々です。1年前にはけっして考えもしなかった事を考えたり、見えなかった景色が見えるようになりました。まだまだ、戸惑うこともありますが、それでも周りの方々に助けて頂きながら、勉強をすることができ充実した日々を送っています。先生方を始め、いつも支えてくれる友人・知人、そして何より家族への感謝の気持ちを忘れずに、少しずつでも変化し成長につなげていきたいです。そして、音楽の中でも生活の中でも、必要のないことをたくさん抱えて囚われるのではなく、自分の意志で何が一番大切で、何が本当に必要かを考え、それを感謝とともに自然に表現できるようになっていけたらと思います。

(よしの・ちおり)