おそらくみなさまもお考えのように、「研究」と呼ばれるものは、深ければ深いほど説明しにくくなります。研究の基本的な内容、一般化の方法、長期的な目的などは比較的簡単に説明できなければならないと思われていますが、「何を研究しているの?」、「どうしてこれとこれを調べているの?」などと聞かれると、研究者はよく返答に困るようです。所謂「思想史」または「哲学史」という分野で研究をしている私自身もその感じをよく知っています。本稿では、それにあえて直面し、自分の研究の中心にある問題点を、日本語の掛詞に見られる豊かさを使って明らかにしたいと思います。

 私は、諸文化の思想的および哲学的な伝統がどのように他の文化の思想または哲学に導入されたかということについて研究しています。そのような文化と文化との「出会い」の典型的な例は、明治時代の日本だと思います。私の研究方法は基本的に、明治時代の人々が西洋の諸文献を日本語に訳したものを読んだり、その文献について書かれた論文を分析したりして、その時期の思想家たちの考え方を調べることです。しかし、日本の思想家たちの考え方に興味を持っているなら、なぜ、彼らが日本文化について書いたものではなく、彼らの西洋文化についての意見を調べるのでしょうか。つまり、私はなぜ、ただ一つの文化の思想史だけではなく、二つの文化が相互に接する点を研究しているのでしょうか。
 この質問を読むと、おそらく所謂「比較研究」が思い浮かぶのではないでしょうか。「比較研究」というのは、あることを知るために、そのこととの共通点と相違点が見られるような別のことと比較する、という研究方法です。その方法は、もちろん、思想史学の領域においても重要です。しかし、筆者の行っている研究の中心にあるのはそういう比較ではありません。また、明治初期の洋学の例に見られるように、ある新たな教えや思想の一部が、国や地域にもともとあった文化に大きな影響を与えることがよくあります。それもとても大切なことですが、私の研究の原動力ではありません。
 私の研究の一番重要な動機は、いってみれば「カガミの現象」という問題です。この「カガミ」という言葉はあまり学術的な匂いがしませんが、諸文化の変化を適切に表現できる言葉だと思います。私は「カガミ」について次の二つの意味を考えています。
 第一に、この「カガミ」というのは、鏡の普通の意味の通り、ある文化・思想伝統は他の文化・思想を知ることによって、自分のことを見られるようになる、ということを示しています。もちろん、明治初期の思想家は最初から自分のことを知りたかったから西洋文化に触れたのではなく、本当の興味を持っていたに違いありません。しかし、私の研究視点から見れば、興味というのはただある結果の根源としてのみ重要さを持っています。他の文化を知ることの結果は、ただその文化についてある想像が創られることだけではありません。例えば明治初期の思想家たちは、西洋文化・思想を知ったことによって、言わば「西洋の鏡」を通して自分の文化も「外の」立場から調べることができるようになりました。その点では、彼らの「洋学」は江戸時代の「国学」、文字通りにいえば「自分の国を学ぶこと」と連続的につながっていたと言えます。
 第二に、その「カガミの現象」は、ただ単に明治期の思想家たちにとって自分たちの生きた時代を西洋の「鏡」を通して見られるようになっただけではなく、西洋の歴史や母国の歴史、つまり変化についても西洋哲学の見方を通して考えられるようになったということです。ですから、私は「化(か)している我(が)々を見(み)る」という意味で、この現象は「化我見(かがみ)」と呼ばれてよいのではないかと考えています。少し妙な言葉遣いですが、「鏡」と「化我見」、この二つの表記による二面性は、上に書いた現象の二面性もよく表していると思います。つまり、明治時代の日本の思想家たちはliberty、rightなどという新たな概念を日本に導入しましたが、libertyが「自由」、rightが「権利」となることによって、言葉、漢字などを通して日本の伝統的な思想をこの概念の理解に利用しました。そして、それは「自分」の理解にもつながっていったと言えるでしょう。新しいものに影響を与える伝統と、伝統を理解しようとする新しいもの、その特徴や違いが一番明らかになるのは、他の文化との「出会い」、言い換えれば「カガミの現象」に他ならないと思います。

(タコー・フェレンツ)