まず、このテーマについて初めて聞いたのは、祖母からであった。祖母は私の故郷の大事な行事をビデオで記録していた。中学生の時、遊佐町からの使節団はラーコーツィファルバにも来てくれた。この行事もビデオで記録していた。そして私はそのとき、すでに日本に興味があったので、祖母がこの経験について数回話してくれた。
 最初は、ティサ舞踊団の 1983年のゲスト出演で、これは最後ではなく、 1987年や 2000年にもであった。次の出方は、 2000年に友好条約の調印をされた。結局、2004年に公的な姉妹都市関係になった。
 この関係を六つの分野に分類できると思う。最初のはこの関係の始めとの紹介で、例えばティッサ青年民俗舞踊団は非常に重要な役割を果たした。次の類は芸術、この中で主に音楽と舞踊と写真展である。たとえばさまざまな奏者と写真をとる人は日本からソルノク市へ来たがハンガリー人もソルノク市から日本に行った。ソルノク市の一番目の指揮者は井崎正浩という日本人である。井崎正浩さんのおかげでたくさんの有名なクラシック音楽を奏でている奏者もソルノク市に来た。写真展にかんしては例としてカルドシュ・タマーシュさんを言える。彼は 1999年から2009年にかけて日本に五回に写真展が開催された。この返し、田崎龍一さんは 1990年から何回もハンガリーに写真展が開催された。
 姉妹都市関係の他の部分は教育である。 1994年から毎春に遊佐町と酒田市から生徒団がソルノク市を訪問した。遊佐町から来た教育的専門家はハンガリー教育制度、主にコダーイ手法を調べた。最近は派遣団と一緒にハンガリーに来た生徒は報告書を書かなければならなかった。遊佐町の派遣団はハンガリー人に書道、折り紙、浴衣の試着などの活動を紹介してあげた。毎回芸術村にさようならパーティーを開いた。 1990年代に遊佐町の幼稚園と小学校で最初の英語の先生もハンガリー人であった。この人はメレーニ・クリスティナさんであった。この経験がクリスティナさんの生活方向づけた。
 三番目の類はソルノク市で相撲と極真空手などの日本のスポーツも人気があることである。例えば 2004年にソルノク市に相撲ヨーロッパ選手権が催された。2017年に師範フルコー・カールマーンさんは八段をもらった。 2010年に筑波大学から栗本宣和先生もソルノク市を訪問してもらった。
 次は経済的な関係である。この関係は集めた資料に基づいてソルノク市より遊佐町に活発である。遊佐町では姉妹都市であるハンガリーのソルノク市との繋がりによって、 2003年からパプリカの栽培が本格的に始まった。遊佐町の若手生産者の七人が現地に「パプリカ留学」し、研修に訪れていた。遊佐町のパプリカ栽培は、販売額、耕地面積においても、国産パプリカでは全国有数の生産地となった。 2017年にこのプロジェクトが終わってしまい、発案者は.橋良彰さんであった。今はマンガリツァ飼育をし始めたがっている。その以外に、 2015年にハンガリー魚肉ソーセージ騎士団も遊佐町を訪問した。ところで、この騎士団の会長は日本人によってシピさんとよばれるシーポシュ・ラスローさんである。シーポシュ・ラスローさんは 1983年からこの関係の参加者である。例えばティサ舞踊団の一員であったり、日本に住んでいたり、遊佐町から派遣団が来たとき、通訳の役割を果たしたりしている。何回もソルノク市に桜の木も一緒に植えた。
 次の部分は遊佐町とソルノク市の市役所の関係である。遊佐町の以前の市長は小野寺喜一郎さんであり、最初からこの関係を非常に興味があった。小野寺喜一郎さんは 1991年に結成された山形県の遊佐町の日本とハンガリー友好協会の会長になった。 2000年にソルノク市に友好交流都市協定書を調印し、同年にソルノク市の市長は遊佐町を訪問し、そこで友好交流都市協定書を調印した。次は 2004年の姉妹都市協定書の締結であった。
 この関係の記念日は特別なので、このような際は非常に大切になった行事であったと思う。例えば 1993年に酒田フィルハーモニー管弦楽団は一回目にソルノク市に演奏した。 2007年の遊佐町の派遣団の人数は56人であった。今回は楽器の寄付と経済的なフォーラムや展示会などのさまざまな活動が起こった。この以外に派遣団はラーコーツィファルバも訪問した。 2009年は遊佐町とソルノク市の関係の視点から見なければ、日本・ハンガリー外交関係開設 140年記念日、国交回復 50年記念年もあったので、重要な年であった。この結果には井崎正浩によって指揮されたソルノク市立交響楽団も日本へ演奏旅行に行った。 2009年は遊佐町にとっては特別な年であったので、 1954年に 1町と 5村の合併で遊佐町が誕生された。それでこの 55年記念日の祝いにもソルノク市立交響楽団は出場し、ソルノク市の市長のサライ・フェレンツも遊佐町を訪問した。実は 2009年が行事で一杯であったと思う。 2018年にソルノク市でこの関係の 35周年の祝いは 3日間かかった。この夏はソルノク市でソルノク市立交響楽団と遊佐混声合唱と一緒に野外コンサートを開いた。
 去年私はコヴァチュ・ミハユさんとメレーニ・クリスティナさんのインタビューを分析してみた。この分析の結果からは、面白いことが数多く分かって来た。例えばハンガリー人にとっては入浴の習慣が珍しいとか、家内のスリッパの使い方から生じた誤解についても聞けた。そして日本学科の勉強している間に現れる概念の現象がここに現れ、例えば厠神、建前、本音、甘えということであった。
 私は「ソルノク市と遊佐町の姉妹都市関係について」に関してアンケート調査 (2018年 2月から 4月まで実施し、遊佐町とソルノク市の関係を知っている人対象、回答者の人数は約 42名)を行った。それによると「最初はどんな違いを気が付きますか」という質問に、日本人は言語と食文化と教育の内容と答えた。例えば齋藤愛彩さんは「私がまず驚いたのはハンガリーの人は話す時に手振り身振りを使って、会話することです。日本人は話す時にあまり大きな動作はしないので、ハンガリー人の話す時の動作に驚きました。あとは、ハンガリーの学校を訪問した時に生徒が制服を来ておらず、私服で登校していることに驚きました。日本では中学校や高校には必ず制服があり、その制服を着て学校に行く必要があります。(中略)だからハンガリーの学校の外見の自由さにとても驚き、羨ましいと思いました。日本の中学校、高校には外見の自由はあまりありません。 (中略)あとはやはり食文化でしょうか。スーパーマーケットで売っているパンの大きさはびっくりしました。あまりにパンが大きくて、びっくりしたので私はスーパーマーケットのパンの前で写真を撮りました。ハムも大きかったですね。日本では一口で食べられる大きさのハムしかないので、初めてハンガリーのハムを見た時は新鮮でした。 (略)」と答えた。そして「最初はどんな似ていることを気が付きますか。」について、ハンガリー人が芸術に対して興味や伝統に執着と答えた。その対して、日本人が「名前の順番」と「温泉があること」と「血管でモンゴロイドの血が流れている。」と答えた。そして、アンケートの終わりにみんなは自由なコメントを書けた。例えばソルノク市の市長、サライ・フェレンツさんが「遊佐町に住んでいる人にとって白人はソルノク市から来た人だけです。ある日は遊佐町の市場に行ったとき、私たちの周りにいる人々はソルノク市、ソルノク市と聞きました。すなわち、この人々にとってはヨーロッパ人はソルノク市から来た人だけです。」と答えた。その以外に約 17つの質問に答えていた。私は答えを読んだとき、非常に面白く、思いも寄らないことに会った。
 この姉妹都市関係は非常に面白く、重要だと思う。それでソルノク市と遊佐町はこの調子で頑張ってください。
(ツッケイ・ジュジャンナ)