この7月、ブダペストとウィーンで小林研一郎と池田理代子のコラボレーションコンサートが実現した。ブダペストの芸術宮殿ではベートーベンの第九交響曲、ウィーンのシュテファン大聖堂ではモーツアルトの「レクイエム」。47歳で東京音楽大学に入学し、声楽を学んだ池田は、ソリストとしてオペラや合唱曲の舞台に立っている。池田を慕って集まった合唱団を率いて、念願だったコバケンとの初の海外公演となった。

天は多物を与える
ひとつの世界で頂上を極めた人が、別の世界でも頂上を極めることは至難の技だ。世界の頂上を極めるためには、相当の才能が要求されるし、その才能が開花されるまで長い時間が必要だからである。だが、それほど才能豊かな人は、他の世界でも頂上を極めるだけの別の能力を持っていることに何の不思議もない。ハンマー投げの室伏選手がプロ野球や格闘技の世界に入っていればそれなりの選手になったことは確実だろうし、逆にイチローが別のスポーツ競技でもトップ選手になれただろうと想像することも難しくない。小林研一郎が音楽家の道を歩まずに、将棋やゴルフの世界に入っていても、それなりに名を残せる成績を残せたと思う。同じように、池田が劇画の世界から別の世界で活躍できる才能を披露したとしても、驚くことではない。
人の才能は多面的なものだから、ひとつの世界を極めた人でも、まったく別の世界で新たな目標を追求したいという想いが湧き出るのも自然なこと。ただ、その道を極めるためにはそれなりの修行や鍛錬が必要で、まったく異質の鍛錬を同時並行的に行うことはほとんど不可能に近い。もっとも、陸上競技の10種競技のように、異質の競技をすべてこなす能力や鍛錬には感嘆するが、残念ながら百米の有名選手の名をあげることはできても、大方の人は10種競技の世界チャンピオンや五輪の金メダリストの名をあげることはできない。私個人は、10種競技のチャンピオンこそ、人間の能力を開花させた最高のチャンピオンだと考えるが、世の中の評価はこうなっていない。
複数の世界を同時に追求することが難しいから、二兎を追うのは時間的に異なる期間に分かれてしまう。「もっと若い時に始めれば良かった」と思っても、その時には別の大切な世界があったのだからできなかった。池田も40歳の転機を迎えて、もう一度、人生の目標を見直したという。何をしたいのか。何かやり残してはいないのか。その想いが重なって、声楽を学び始めた。
今、池田は各種のコンサートで歌いながら、オペラに出演し、演劇舞台にも立つ。自らの主体の実現を限りなく追及している。団塊世代で私と同い年だからハングリー精神があることは分かるが、それだけでなく自己を実現するという強い欲求が池田の行動を支えている。ひとつの道を極めた者は、また別の道を歩み、極めることもできる。もちろん、最大限の能力を発揮できたはずの失われた時間は取り戻しようがないから、極める頂上に絶対的な限界があるという厳然とした現実は存在するのだが。

プロとアマの境界
並はずれた才能があっても、人は歳には勝てない。あらゆる世界のトップスターも、歳とともに維持できるレベルは落ちていく。ほとんどすべての世界で、若さの力は何物にも代えられない。もちろん、歳を重ねることで経験を積み、老練になることはあるが、それは失われた力を補充するものでしかない。
他方、若い時にその世界の修練を積む機会がなく、歳を取ってから修練を積んだ場合はどうだろう。池田のように50歳近くで声楽を学び始めた場合、どこまでその世界のレベルに到達できるのだろうか。もちろん、池田にはソプラノの世界でトップを極めようという考えはない。音楽に限らず、歳を取ってから飛び込んだ世界での目標は、自ずと若い時に飛び込んだ時の目標とは異なるだろう。誰かと競争してその上に立とうという野心はない。それは50歳を過ぎてから長距離レースに参加し始めたケースにも言えること。しかし、ただ歌っていれば満足できる訳ではない。長距離レースでも皆それぞれに目標があるだろう。ただ、走れば良いというものではない。その目標は、しかし、自らに課した目標であって、他者との競争ではない。
池田の目標はコンサートの舞台に立てるレベルを獲得し、それを維持するために精進するということだ。遅れてその世界に参入した者には多くのハンディがある。しかし、その世界のトップに立っていた人のレベルも落ちていく。トッププロが力を落としていくレベルと、アマチュアが精進を重ねて上げていったレベル(セミプロ)が、どこかで交差することがある。スポーツであれ音楽であれ、世界のトップとアマチュアの差は明瞭だが、トップから次第にレベルが下がってくると、プロとセミプロとの差が限りなく縮まってくる。サッカーの日本代表が練習相手の流通経済大学相手に苦戦したり、調子を落とした高橋尚子がアマチュア並みのタイムになったりする。J1のチームが、草サッカーチームに負けることもある。このように、プロとアマ、トッププロと並のプロ・トップアマチュアとの差が限りなく縮まり、紙一重になることがある。
「寄る年並みには勝てない」というが、精進を積めば、それなりのレベルに達することができることを、池田は身をもって教えてくれる。生きている限り、生きる証を限りなく求めたい。生きている意味を探り、それを確かめることが、池田にとって歌う意味なのだ。

瞬間芸としてのライブ
コバケンの魅力はライブにある。それも合唱が付けば、魅力は倍増する。コバケンの歌唱指導には定評がある。まだ指揮者として芽が出ない時代に、小林はアマチュアの合唱団を振り続けた。自らもピアノで歌ったりもする。だから、合唱団や歌手には厳しい。発声だけでなく、詞の意味や発音、荘厳さや繊細さのヴァリエーションに徹底的な注文をつける。さらには、舞台での立ち振る舞いも指示する。オーケストラの指揮者で、合唱団の起立のスタイルまで指示を出す人は稀だろう。「レクイエム」でも、静かに立ち上がる指示と、サーと立ち上がる指示を出していた。ライブでは音だけでなく、合唱団や歌手の立ち振る舞いも、舞台を構成する要素になる。だから、視覚的な映像も重要な要素なのである。
そういう視覚的な要素に気を配るのは邪道だと言う人もいる。事実、小林のダイナミックな指揮振りが聴衆に受けるのを好ましくないと考えている音楽家もいる。音楽そのものではなく、指揮振りが強烈な印象を与えて、奏でられる演奏の質を判断できなくするという。しかし、ライブはまさにオケと聴衆が一体感を得るところに価値があるのだから、目に見える映像を抜きにしてはその価値を語ることができない。
もし純粋な音だけを求めるのであれば、レコーディングになる。一音ごとに切り貼りして、間違いのない音の列が制作されていく。これも一つの音楽には違いないが、化粧して素顔が分からなくなった美人のようなものだ。以前、ライブとレコーディングを、学者の講義と書物に喩えたことがある。大学者ほど話が下手で、聴くに耐えない人は多い。逆に、書物の業績はなくても、聴衆を説得し、感嘆させる話者がいる。人に感動を与えるのはどちらだろうか。
シュテファン大聖堂は聴衆で埋まった。自分でチケットを買い、入場してきた人々だ。観光客に開放されていたゲネプロとは違い、本番は自腹を切った聴衆だけが席を占めた。夏の観光シーズンが始まっているから、いろいろな国の人々がいたに違いない。これだけの聴衆が入りながら、空っぽのドームかと錯覚するほどにノイズがない。まさに「水をうったような静けさ」とはこのようなものかと思った。モーツアルトの鎮魂か、それとも親しい人の鎮魂に、祈りを捧げたのだろう。最後まで静寂に包まれて「レクイエム」が演奏された。小林が奏でる「レクイエム」は、繊細で美しく、そして思いがこもっている。最後の一音が完全に消えるまで聴衆は待っていた。そして総立ちになり、万雷の拍手で演奏者を讃えた。数十名の聴衆が舞台に駆け寄り、カメラのフラッシュを焚き、指揮者とソリストが退場できないほどの人だかりになった。再び指揮台に上がった小林はドイツ語で短く挨拶し、モーツアルト絶筆の曲になった第8曲「ラクリモサ」(涙の日)を再演奏して応えた。聴衆の中には十字架を切り、涙する人もいた。合唱団にも、鎮魂の事情を抱えてレクイエムを歌った人がいた。
この夜は実に不思議な感覚に見舞われた。日本人指揮者が、日本とハンガリーの歌手、日本とハンガリーの合唱団、そしてハンガリーのオーケストラを率いて、モーツアルトが眠るシュテファン教会で、ウィーンの人々と世界の各地からウィーンを訪れた人々を一つの共感の世界に招いた。これこそライブの魅力である。

自分への投資
一つの海外コンサートを実現するのに、気の遠くなるような準備が必要だ。会場、ソリストやオーケストラを確保し、コンサートにこぎつけるまで、実に細かな調整や交渉が必要になる。この世界には多くの代理人や仲介業者が存在する。彼らに一切の取り仕切りを任せれば楽だが、その代わりに原価の50%、100%のマージンを乗せられても文句は言えない。
シュテファン大聖堂の借料として最初に提示されたのは実に3万ユーロである。オーケストラを大聖堂のコンサート主催会社に繋いだハンガリーの仲介業者が5割のマージンを上乗せした結果だ。日本のオケや合唱団がこぞってウィーンの楽友協会、コンチェルトハウス、シュテファン大聖堂などで演奏しようとするから、間に入る業者は日本人相手にひと儲けしようと企んでいる。だから、ウィーンでは日本人相手の料金が設定される。仲介業者から法外な料金を提示されても、独自の交渉ルートがないから、文句なしに支払ってしまう。日本人は実に金払いが良い。こうして、ウィーンの主要会場の借料は、3万〜3.5万ユーロの相場に高止まりしている。一晩の演奏会場としてはべら棒な料金である。
今回は粘り強い交渉で、最終的にハンガリーの仲介業者を外すことで料金の決着を見たが、その代わり、以後は会場借り受けにかかわる細かなやり取りを直に行うことになった。合唱団やオケの配置、特設スタンドの設置の有無、限りのある控室の利用、ソリストの控え室の確保、プログラム原稿、教会への入場の仕方、チケット販売など、細かな事務処理が発生する。会場費を払えば終りなのではない。
わずか1時間のコンサートを実現するために、長い時間をかけて多くの人とお金を動かし、まとめ上げなければならない。これだけの時間と労力をかけて創り上げるライブ・コンサートは一瞬のうちに終わってしまう。もちろん、ビデオやDVDに収めることはできるが、コンサート自体はほとんど瞬間のうち消えていく。しかし、すべてが空気の中に消えるわけではない。演奏した人々や聴衆には、肌で感じた感動や印象や想いが、記憶の中に収められていく。実に贅沢な時間だとも言える。形に残らないもののために、自分の記憶の中に留めるために、チケットを買い、ツアーに参加する。無形のものに投資するのは、ある意味で一番贅沢で何物にも代え難いお金の使い方だと言える。
人は物的な財産をあの世に持っていくことはできない。たくさんの思い出や記憶を抱えて旅立つ。その旅立ちに至るまで、反芻するように、楽しい思い出や感動の瞬間を何度も記憶に呼び起こし、生きている喜びを噛みしめる。自らの思い出のために投資する。お金の額では計り知れない価値がある。

エピソード
ゲネプロから戻った小林が口を開いた。「今日、とっても不愉快なことがあったのです」、と。「教会に入る時に、日本人観光客が、"あっ、小沢征爾だ”と言うのです。失礼しちゃいますよね」。飛行機の中でも、空港でも、小沢と間違えられることが度々だという。この話になると、小林は笑い話のネタを繰り出してくる。最近では、私は「深い関心がなければ、良く似た人物を区別することができないのですよ。女優か、指揮者かは区別できますが。私などは、松たか子と松嶋菜々子の区別ができません。さすがに、米倉涼子と仲間由紀恵は区別できます」と合いの手を入れている。
コンサートが終わり、ホテル・ザッハー前からタクシーに乗った。降り際に運ちゃんが、「俺は小沢を乗せて何て運が良いのだろう。サインが欲しい」という。小沢ではないと言っても、先方は引かない。「隠したって俺には分かっている。でも、そんなことはどうでも良いからサインをくれ」というので、チップを渡して引き下がってもらった。ウィーンの日本人指揮者と言えば小沢だから仕方がない。小沢がブダペストに行ったら小林になるに違いない。