予定通りの一年半後に仕事が切りの良い段階にあったなら、日本に帰ったかもしれません。実状は、その頃にはまだ切りをつけられる状態でなく、「始めた研究は終えるべし」と云う責任がありますから、その段階で帰る訳にゆきませんでした。ただ、研究と言うのは芋ほりのようなもので、つるを引っ張ると(運が良ければですが)次々と芋が出てくるので、切りのつけようが難しくなります。そんなことをしている内に私の方が複数のつるで当地に縛られる様になったわけです。ある意味ではぬるま湯にどっぷりと浸かってしまったとも言えますが、私が授かった才能の程度を考慮すると、許される罪の範囲内だと思います。
 ハンガリーでは最近自然科学に人気が無いそうで、同僚たちは嘆いています。今年の大学進学希望を見ても、高校の物理の先生を養成する学科へ願書を提出した人は、全ハンガリーでたったの7名だったとのことで、大変なショックを起こしています。初等中等教育で良い先生がいなかったら研究者になろう等という生徒は出てきませんから、今後のことを考えると、ハンガリー物理界の大問題です(日本でも理科離れの傾向が強まっていることを聞きますが、ノーベル賞四重受賞で流れが逆になることが期待できましょう)。
 物理学にとって現在は大躍進の時代ではなく、地道な発展の時期です。去年のノーベル賞の小林益川理論は37年前の1972年に出されましたが、それが実験的に確認されたのは僅か8年前の2001年のことです。物質を構成する最も基本的な粒子(素粒子)について研究する分野ではこのように理論的研究が先走りしています。私がやっている物性物理の分野では逆に実験的研究が理論を先導しています。物性物理とは、たくさんの原子から構成される、目で見える大きさの物質が示す多様な性質を研究する分野ですが、これまでに無い新しい性質を示す物質が実験室で次々と作り出されるので、それを原理的に説明する仕事の方が後ろから一生懸命追いかけている状況です。「目で見える物質」が如何にたくさんの「原子」から造られているかは、原子をテニスボールの大きさに例えると実感できます。「目で見える物質」は一辺が千キロメートルの箱の大きさになります。孤立した、一つの原子の振る舞いは理論的に完全に知ることが出来ますが、これだけの数の原子が集まると、一つ一つの原子の研究からでは予想も出来ない現象が起こるのです。抵抗無しに電気を伝える、という日常の常識に反した「超伝導現象」とか、逆に、2000年以上前から日常的に知られている「磁性現象」(磁石の性質)など、その多様性は数限りありません。「目で見える物質」のこのような多様性を、原子レベルで有効な基本原理から出発して、物質レベルの法則を導き出して理解するのが物性物理学の醍醐味です。
 素粒子物理学の実験装置というのは、今では超々巨大になっていますが、物性物理の実験は小さくて済むものも多く、個人個人のアイデアの重要性が高いですので、ハンガリーのような小国にもやれることはたくさんあります。そのため物性物理には、民族性が反映されているなー、と思わず言ってしまうような仕事もときどき見られます。ハンガリーが30年前に「低次元のメッカ」と言われたのも、独創的なアイデアを出す非常に高次元な頭を持った実験家と理論家が協力し、互いに助け合う家族的な研究環境を構築し保全していた努力の果実でした。ちょうど「メッカ」期の全盛時に当地に来れたのは、偶然の重なりによるとは言え、私にとっては本当の幸運でした。
 大雪で始めた話はやはり大雪で閉じるのが洒落ていますので申し上げますが、科学アカデミーの物理学研究所は90番のバスの終点、すなわち山の上にあります。大雪が降ると上の方ではバスはすぐ走らなくなります。歩いて下山したことが何度もありました。不思議なことに、同僚と話しながら雪のなかを歩いている時には必ずと言ってよいほど良いアイデアが出てくるのです。最近大雪が少なくなったのを残念に思うのは、子供の頃の雪への憧れというより、むしろそのためです。