橋本 直樹(赤組団長 日本人学校中学部三年)
 運動会の準備が始まり、団長を決める日、僕は迷っていました。しかし、自分がするしかないだろうと思い、思い切って手を挙げてみました。少し恥ずかしいという気持ちもありましたが、勇気を持って手を挙げることができました。
 でも、九月になり、運動会の練習が本格的に動き始めても、やはり自分は取り残されていました。団長として何をすればいいのかわからず、周りの人に頼ることしかできませんでした。だからこそ、僕は自分にできることを探し続け、考えた末に見つけたことは「やる気を見せる」ということでした。僕も、正直言うと、みんなが思っているように、練習はめんどくさくて,やりたくなくて、恥ずかしいという考えを持っていました。けれどぼくはそういう気持ちを出さないようにしました。練習が終わったあとの休み時間には、あまり人がいないところで「疲れた―!」と思いっきり叫ぶこともありました。でも、どんなに足や体が疲れていても、練習が始まったら、やるぞと気持ちを入れ替えました。僕が前に立ち、堂々としていればみんなもついてきてくれると信じ、行動しました。みんなは爆発的な元気力を持ち、練習は何度も何度もできました。
 そして、運動会当日、みんなはあの二週間を無駄にせず、観客に元気な踊りを見せつけ、本番は成功しました。僕にとってあれが成功したのは僕以外の応援リーダーのみんなのおかげだと思います。踊りや歌を夏休みに休日を削ってまで一生懸命考えてくれて、僕はみんなにとても感謝しています。彼らのおかげで赤組の応援が成功できたようなものです。そして、運動会終盤、あの接戦の末、赤組は十二点差で負けました。僕はあの十二点が忘れられません。「大玉で勝っていれば…。短距離走で一位をとっていれば…。」と心の中で悔やんでも悔やみきれませんでした。
 
 
久世 優美子(白組団長 日本人学校中学部三年)
 運動会の見せ場となる応援合戦の練習が始まったのは夏休みだった。午後を三日間フルに活用し、短期間に集中して土台を作り上げた。夏休みが明け、一週間、二週間と順調すぎるくらい練習は円滑に進んだ。その頃は、全体の動きを覚えて、それを教えることだけで精一杯だった。しかし、残り一週間となり、練習もまとめに入るころ「楽しむ」という言葉を聞いたのをきっかけに、自分がどんな応援にしたいかを考え始めるようになった。そのとき聞いた「楽しむ」という言葉には初めて耳にするかのような新鮮な響きがあった。心にしみる清らかな響きがあった。そんな言葉に巡り会えた。
 それからは「楽しむ」というのが白組の応援のコンセプトになった。私は応援リーダーとして運動会を楽しむにはどうすればいいか深く考えた。それはもう、夢に出てくるくらいまで。しかし、どんなに頭で考えても、応援合戦の楽しみ方に明確な答えは出てこなかった。ただ、団長としてみんなにしてあげられることは、みんなを楽しませてあげることなのだと気づくことはできた。
 この運動会、間違いや失敗など、やり直したいこともいろいろあったけど、小学生の応援している声や、ハイタッチしたときの手の感触などの方が強く心に焼き付いている。そんな楽しい運動会にできたのは、練習から本番まで力を合わせて一緒に盛り上がれた白組の仲間、最後まで精一杯競った赤組、何ヶ月も前から私たちの知らないところでも運動会を支えてくださった日本人会の方や先生方がいてくれたからだと、振り返って改めて思う。この感謝の気持ちは言葉では言いつくせないけど、ちゃんと言葉にして伝えたい。
 ありがとう。