ハンガリーで働き始めてもう10年が過ぎました。もっと経験豊富な諸先輩をたくさん知っておりますが、2000年前後にハンガリー各地で工場を立ち上げた仲間達はみんな日本に帰り、残っているのは私だけかと思います。

地方都市での生活

 私の勤務する会社はBudapestから南に65kmのドゥナウーイヴァーロシュ(Dunaujvaros)にあり、私はそこで精密プレス板金加工工場を経営し、ハンガリー以外にもEU各地のセットメーカーにプレス部品を納入しています。
 この10余年、私はこの地方都市で生活してきました。正確には、町に隣接するラツァールマーシュ(Racalmas)という村です。家の片隅に「鶏小屋」や「豚小屋」の跡がある大きな農家を借りています。10年前は地方に住む日本人はまだ少なく珍しがられたものです。工場に近く、都会の騒音とは無縁の生活を堪能していますが、地方都市に住む短所は文化・芸術から縁遠くなるということでしょうか。最近になって、このことを痛感しています。一方、生活面では最近大型のスーパーが出店してきたので、もう田舎の品不足に悩まされることもなく、週末にBudapestに買出しに行く必要もなくなりました。これは本当に大きな変化です。
 私はハンガリーと触れ合うには地方都市・田舎は最高と思っています。ハンガリーの家庭を身近で見ていると、ハンガリー人が良く働くのにびっくりします(規律が要求される工場の働き方とは違って)。庭なんて自分で作るのは常識ですし、家まで作ってしまいます。家庭菜園も一流です。日本の兼業農家レベルに近いのではないかと思うほどです。町にある大きなホームセンターの品揃えは、日本より上だと思います。店では夫婦が、家族がメモを見ながら買い物をしております(楽しみながらというより、真剣に)。こういう光景を見るたびに、自分で出来ることをお金の力で他人(職人)に依頼してしまう文化になった今の日本を考えてしまいます。
 日本人が何時しか忘れてしまった「近所付き合い」も残っています。田舎ではそれが毎日の生活そのもので、優しさをベースにした人情にも囲まれて生活しています。今朝も、「チョコロム!」と、子供達が声をかけてくれました。もちろん、この平穏で変化のない単調さに飽きる事もしばしばありますが。
 日常生活で付き合うこんなハンガリーの人々が会社に入り組織化されると、大きく変わることにびっくりします。家庭であれだけ勤勉に働いていた人が組織化されると、まるで融通の利かないロボットのようになってしまうのです。「働くこと」よりも「働かないこと」の方が偉いかのような雰囲気が作り出されます。家庭菜園や庭の手入れを生き生きとしてやっていたあの自主性はまったく発揮されません。地方都市や村の多くの人々は大きな工場で働いた経験がないのでしょう。そのような経験があったとしても、旧体制時代の労働規律や経営の弛緩が人々を鍛えて来なかったのだと思います。日本式というより、大きな工場をきちんと動かすことのたいへんさや大切さを教えることから始めなければなりませんでした。会社はお金を稼ぎ、私達の生活を守り将来を保障する大切な手段であることを訴えつつ、工場建設や仕事の改革に全力をあげました。
 
工場の立ち上げ

 創業当初、募集した500名の社員は確保したものの、ほとんど全員が工場労働未経験の新入社員です。働く意欲など微塵も感じられず、会社を社交場と思い込んでいる節がありました。旧体制時代の工場では、仕事中の飲食、喫煙、お喋りが普通だったようですから、近代的な工場で働くやり方を学んで来なかったのでしょう。
 休み時間に恋人同士が抱き合っているのを見た時には、「すごい所に来てしまった」と声も出ず、ため息をつくばかりでした。拘束時間が終わるとルンルン気分で帰ってゆくハンガリー人従業員を尻目に、日本からの赴任者10名にフィリピン工場の応援者5名で、徹夜の連続で仕事をこなし、2年間休みなしでお客様に対応して来ました。私達の口から「ハンガリー人は馬鹿・チョン・無責任だ!」と愚痴の機関銃で2年程が過ぎました。
 この時期に、社内では日本では考えられない事態が進行しておりました。10年経った今でもこの事に苦しめられております。出産・育児のおめでたい話なのですが。

出産・育児の為に入社? 

 現在40名ほどの産休育児休暇の社員がおります。その80パーセントがこの操業初期の2~3年に入社した社員です。彼女達から聞いた事があります。「将来子供がほしいから、しっかりした安心できる会社に入っておきたい」。エエ…ッ。気がついた時は社内にお母さん予備軍がいっぱい。お母さん予備軍は計画通りに1人目、2人目、人によっては3人目と産休・育児休暇を使っていきます。
 第一子の出産で3年以内に出社は納得します。二子を出産し6年間出社なしではもう社員かどうか判りません。続けて3子だと、9年間も顔を見ませんから、社員だと知っている人はわずかです。出産以外に、いろいろな理由をつけて休んでいる社員も結構います。
 日本では出産祝い金などがあり、みんなで「おめでとう」なんて言うのですが、こういう状況ではそんな気にはなれません。出産は人類にとって生き残りをかけた大切な事。これを大切にする事は当たり前と思っています。この世界不況で人員整理をしたとは言え、社員の10パーセントが産休・育児休暇では素直になれません(休暇中のお母さんは人員整理対象にはなりません)。頭の痛いのは現職復帰と現行賃金の保証が法律で定められている事です。日進月歩の技術革新で激しい企業間競争のこの時代、「3年ぶりです」、「6年ぶりです」、「子供が出来たので3年休みます」。これにはチョット参っております。出産休暇以外の短期・長期の病欠も8%になるのですから、会社の労働管理はたいへんです。
 今、社内は子供が大きくなったおばちゃんが主体です。私には、ハンガリーの貴重な労働力が放置されているとしか思われないのです。もう少し賢明な施策があってしかるべきだと思います。国の人的資源が活用されていないと思うのは私だけでしょうか?
 
悪しき慣習との戦い

 操業当初、私共15名ほどで工場が回るはずがなく、数百名の善良なハンガリー社員が私達を支えてくれました。この間、私達は愚痴だけではなく、しっかり「学習」もしました。善良でない社員が「寄生することを良とし、それを自慢する性癖」がある事に注目しました。国家の福祉厚生制度に寄生しずる休みを常習とする者、会社の組織に寄生し仕事をさぼり賃金を受け取る者。これらの「寄生する性根」に法廷闘争を含む覚悟で戦いを挑みました。「不当労働行為」、「不当処分」、「不当解雇」、「労働法違反」などいろいろ言われました。不当には正当、違反には遵守で対峙し、法廷では勝ったり、負けたりしましたが、「寄生する性根」への妥協は一切ありませんでした。
 毅然たる闘いに温かい応援者が現れました。多くの善良な社員達です。善良でない社員に注意・処分を課すと善良な社員は笑顔で返してくれます。この日本人の対応は善良な社員にとって非常に新鮮であり映り、驚きさえもたらしたようです。長い間、従順あること、我慢すること、泣き寝入りして自己表現が押さえつけられていたこの国では、私達の行動が新鮮に映ったのかもしれません。
 ここから多くのことを学ぶことができました。寄生だけして向上心のない社員と、良心的な社員とを区別することの大切さ、そして良心的な社員と協力して会社を支えていくことの大切さを身にしみて感じてきました。
 一方、生産活動では現場重視、技術重視、実力主義を徹底しました。現在、当社の管理者は大半が現場からのたたき上げです。不足している所は勉強・教育しました。営業担当者は3年かけて主要な職種を経験させました。品質管理者は金型・プレスを必修科目として研修させました。日本式の社員教育を基礎しております。これに反発したのは大卒のエリート達でした。やがて、彼らの8割は退職して行く事になりました。旧体制で育ったハンガリーのエリートたちは、工場労働者とは異なる仕方で、甘やかされていたのだと思います。
 世界的な経済不況で当社も人員整理を含むリストラを計画せざるを得ませんでした。当然「寄生する性根」の強い社員をリストアップする頃には会社全体の雰囲気が変わり始め、ずる休みや仕事のサボりの程度は、私が許容する範囲内に入ってきました。10年の闘いの成果だと思っています。

民族の垣根を越える

 この世界的な不況の中、会社組織は私を含め日本人スタッフを3名に減じ、他は日本へ全員帰任とし、会社・工場の運営主体はハンガリー社員である事を明確にしました。会社が生き延びていくためには、可能な限りの現地化が不可欠だと判断しました。ハンガリー人従業員には「, ここはハンガリーの国だ。工場の主体はハンガリー人であるべきだ」と粘り強く訴え続けました。その思いが伝わったのでしょうか、何時しかハンガリー人社員には私の想定以上の技術的能力と管理能力が備わり、コミュニケーション・意思統一の面は強化され、現在は多数の日本人スタッフが在籍していた時以上のレベルになっています。もともと能力のある国民ですから、きちんと教えればそれを自分の物にする力をもっているのです。 
 私の隣で仕事をしているレーカさん、工場管理をしているガボさん、技術のドディさん、品管のゾリさん、営業のコバチさんたちを、ここ3年ほど彼らをハンガリー人と意識して仕事した事ありません。そういう名前が付いている人間と一緒に働いているだけです。もう民族の垣根はありません。彼達も私を日本人としてみていないようです(私のことを「オオカミ」とか言っているようですが)。
 
大きなポイントとなる在任期間

 私にとって、10年にわたるハンガリー滞在が大きな力となっています。短期の駐在ではハンガリー人の性癖や労働の仕方を理解し、それを改めるように一貫して指導して、従業員との信頼関係を確立することは不可能です。2~3年の駐在で日本に帰るケースを多く見聞しますが、私のような無能な人間にも、10年という期間が与えられ、工場に隣接する村でハンガリー人とともに生活すれば、何とか少しずつ成果を生み出すことができます。
 ハンガリーという異国の地で納得できる仕事をやり遂げるには、「短期の腰かけではなく、どっしり腰を据えて取り組む」ことが大切なだとしみじみ感じているところです。ハンガリーを知り、ハンガリー人との信頼関係を作り上げる為には、最低でも5年や10年の時間が必要だったと思っています。

物を作る前に人を作る 

 「EUでトップレベルのプレス加工メーカーに」。現在、これが当社の目標です。「身の程知らず」、「井の中の蛙」かもしれませんが、二つの民族が協働し、それなりの成果を上げるために、共通の目標を持って自主性・自律性・実行力・結果への責任感を生み出すことが一番重要だと考えます。結局のところ、それが労働の質的レベル向上に不可欠の要素だと思います。この共通の目標へチャレンジを続ける企業であることが、従業員の力を結集させる会社の力の源泉だと考えます。
 これこそがハンガリーにとって、非常に大切な課題ではないかと思います。単純な低賃金労働ではなく、産業界にとって魅力的な労働力を有するハンガリーになることが、双方の民族の利益になるはずです。考える事が人間の特権なら、私たちは今行っている一つ一つの労働を考えながら再チェックする。これが労働の質的向上のスタートと思っております。
 私たちは気づかないうちに物を作ることが基準となって、この基準を満たさないことは悪いという判断をし、個人や集団いわゆる人間を批判するに事に傾きがちです。確かに一面では正しいのですが、これだけに終始してしまうと目的すら達成できなくなってしまう危険があります。
 私は日本人の物作りの根底に流れる「人が物を作る」と言う考え方をもう一度実践して見たいと思っています。私達日本人は武道や芸道など人間を中心にすえた文化を持っています。「物を作る前に人を作る」。もう一度この言葉を噛み締めてみたいと思います。民族的資質の特徴に違いもありますが、私の10年の経験からは環境条件、条件、指導内容によってはハンガリーでこれを実現する可能性は十分あると思っています。 
 地方都市、田舎暮らしの中で、まじめで勤勉な多くのハンガリーの人達を知りました。工場や職場で「働くこと」が新たな価値を生み出し、それが生活を守り、将来を保障する。そして、「労働のレベルアップ」がマジャール人の国を豊かにすることを社員に話しかけながら、ハンガリー社員と共に新しい10年に進もうと考えています。

(たかね・ともみつ 相川ハンガリー)