忘れもしない補習校最初の授業、自由奔放娘が教室から脱走しないかとひやひやしていた。しばらくしたら、ダダっと階段を駆け下りて外に飛び出していく1年生、もちろん先頭は私の娘。「ああ、やってしまったか」と思ったが、授業が終わって休み時間になったので外に飛び出したというのでほっと一安心。
 4月に補習校に入る子どもたちのほとんどは9月に小学校入学なので、それまでは幼稚園の年長さんをしながら土曜の午前中だけは補習校で小学1年生。まだまだ甘えんぼだし、月曜から金曜まで幼稚園でお勤めを果たしておつかれのところ、土曜の朝から4時間の授業をこなせるのか、正直かなり心配だった。でも、親の私には「勉強やだ」と言いつつも、幼稚園のお友達や近所のおじさんおばさんには、補習校に通っていることをとても自慢げに話している。大好きな先生、お友達と会えるのがうれしいし、字を習うことも楽しいというから、勉強がきらいというのはきっと、宿題をするときに私が目を吊り上げてぎゃーぎゃー言うからだろう。と反省しつつも、本読みをはじめて2行目くらいで「つかれた、」とか、「今日は3回じゃなくて1回にしてもいいんじゃないかなぁ、昨日も読んだし・・・」とかぶつぶつ言い出すと、どうしてもドカンと爆弾投下してしまう・・。
 若かりし日、ハーフの子どもは何の苦労もしなくてもバイリンガルになれていいなぁ、と、勝手に羨ましく思っていたが、本当に2ヶ国語を母国語レベルでマスターすることがどれだけ大変か、自分がこういう状況に置かれるまで全く想像していなかった。我が家の場合、私に何かあった時の娘の行き先は日本ということになるので目標は高く、日本の学校にいきなり入れられてもなんとかなる程度、つまり日本語も母国語として身につけてほしいと期待している。
 娘が産まれてから私は日本語でのみ話しかけるようにしていたにもかかわらず、フルタイムで仕事をしていたので、2歳半くらいの時点ではハンガリー語で過ごす時間が1日のうちのほとんど。私が日本語で問いかけてもすべてハンガリー語で返事が返ってきていた。その後、同じ年の日本人のお友達ができて時々一緒に遊ぶようになってから、大好きなお友達に思いを伝えたい一心だったのだろう、いつのまにか自然な日本語を話すようになっていた。
 普段の生活で日本人と会うことの少ない娘は、公園などでアジア人の子どもをみると「ママ、日本人の子がいるからお友達になってくるねー」と、走っていく。日本人じゃなかった、と、すごすごと戻ってくることも多いが、日本人であれば2分後には本当にお友達になっているところはさすが子ども同士。日本語で話ができるのがうれしいらしい。ただ、大きくなれば道で日本人をナンパして話しかけるということもかなり無理があるし、同じような環境の子どもたちと一つの学校で過ごすことも補習校の大きな価値だと思って通わせることを決めた。
 通い始めて半年、先生はとても優しいしクラスのお友達とも仲良くしてもらって、いまでは土曜が来るのを毎週楽しみにしている。仕事でときどき送り迎えさえ自分でできないときもあるような状況だが、親の私にとっても、補習校の子どもたちやお父さん、お母さん仲間と話ができることが大きな楽しみになっている。
(もり・よしみ)