4月3日の朝、私は自分の勤め先であるコルヴィンマーチャーシュ高校の生徒18名と、その引率教師2名のうちの一人としてリスト音楽院ホールにいました。その晩行われる小林研一郎氏のコンサートのゲネプロ(Generalprobe、全体リハーサル)を拝聴する機会を得たためです。ハンガリーでのコバケン人気は根強く、本公演のチケットは完売とのことで、午前10時開始ゲネプロでさえ観客席は満席で、改めて人気のほどを思い知りました。
 クラシック音楽は好きですが、コンサートに足繁く通うような熱心なファンではなく音楽に詳しいともいえません。当然ながら本公演の前に行われる「全体リハーサル」を見ることが出来るのは初めてのことでした。全体リハーサルとは本番で演奏される曲をササッとおさらいし、本公演に備えて早々に終了するようなものかと想像していました。しかし、それは私が思っていたようなものではなく、緊張感に満ちた真剣勝負の場だったのです。
 随所で演奏を止めては、納得がいく音が出るまで指示を与え続け、何度でも繰り返しを要求する指揮者と、それ倦むことなく要求に応えていくオーケストラ。小林氏のいつも聴衆に深い感動を与える芸術の裏にはこのような過程があったのかと、とても興味深く、普通のコンサート以上に夢中になり、時間が経つのを忘れてしまいました(本公演より長時間に渡っていたと思います)。それは楽譜にあるものをただ再現しようとするのではなく、楽譜には書かれていない世界の高みへ到達しようと試みている作業であるようにも見えました。

 通常なら一般人には見ることが出来ないリハーサル風景を見るという幸運に浴した我が校の生徒は18名。そのうち半数は私の日本語クラスへ通ってくる生徒の中から、そして残りの半数は我が校生徒の中で音楽に関心が高い生徒を音楽の先生が選抜しました。我が校は音楽専門高校ではないので、学校行事としてプロの音楽を生で鑑賞するような機会はありません。数人の生徒に聞いてみたところ、小学校でもそのような機会に接したことがある生徒はいませんでした。我が校生徒は全員がブダペストか、そのすぐそばの町に住んでいる子供たちですが、18人の生徒のうち、これまでリスト音楽院ホールに来たことがあったのはただ1人だけ。富裕層の子弟が多い学校や芸術系専門校の学生なら話はまた別だろうと思いますが、我が校のようなハンガリーの平均的な家庭の子供たちの現状はこのようなものなのでしょう。
 今回の18名の生徒のほとんどはオーケストラの生演奏を聴くことそのものが初めてでしたので、ゲネプロを拝聴する機会を得たことは本人たちにとってはもちろんのこと、学校にとっても、大きな出来事でした。
 高校生世代の若者たちには「クラシック音楽=退屈」というイメージがありますが、後日ゲネプロを聴いた生徒に感想を求めてみたところ、「退屈だった」などと無礼なことを言う生徒は一人もいませんでした(ゲネプロは、熟練工の手で石が研磨され、宝石が最初の輝きを放つ瞬間を目撃しているようなものだったので、「退屈」なはずはありませんが…)。
 当日、私の隣に座っていたのは趣味でサックスを吹いている生徒で、小林氏が金管楽器に指示していた場面では身を乗り出して特に真剣に見入っているのが分かりました。同様に、ヴァイオリンを弾く生徒はヴァイオリンが一番気になる部分だったそうで、とても刺激を受けたとのことです。また、日本語クラスの生徒数人は和太鼓の部分が気に入って、和太鼓の迫力に魅せられたようです。
 音楽とはちょっと違った側面に注目していた生徒もいました。リハーサルでは小林氏が音に対して決して妥協を許さないため、同じ部分を何度も繰り返し演奏する場面が何度もありました。そんな時、氏は「うんうん、すごくイイ!」(褒める)、「でも、もっと!!」(絶対に妥協しない)、しかしそんな時、続いて必ず「ごめんね、ごめんね」…とオーケストラに謝っていて、生徒はそこから小林氏の人柄の良さを感じとっていたようです。それから、小林氏が外国人でありながらハンガリーでハンガリー人とともに仕事をしてきた人であったことに、何かを感じていた生徒もいました。
 今回ゲネプロを拝聴することが出来たのは、私個人にとって興味深く思い出に残る体験となりました。またそれを生徒たちとともに体験することができ、日頃はあまり接点のない日本語クラス以外の生徒たちの意見も聞くことができたりして、さらに思い出深いものとなりました。貴重な体験をさせていただいたことを本当に感謝しています。

(きむら・まきこ コルヴィンマーチャーシュ高校)