ハンガリーに留学してもうすぐ3年が経とうとしています。私にとって海外に移住することや、一人で生活をしていくこと、何もかもが初めての経験でした。いったい私は一人になるとどんな風に生活していけるのだろうという思いはありましたが、不安というより好奇心の方が強かった気がします。一歩外を出ると見るものすべてが珍しく新鮮で、友達と一緒に行動する日々を送っていました。分からないことをすぐに聞ける友達やいろいろな支えもあって、少しずつ自分で成し遂げることに達成感を感じ始めました。気が付くと、今日は一人でどんな新しいことをしてみようかとわくわくしている自分がいて、そういう風に感じることのできる私自身の発見がすごく新鮮であり、嬉しかったです。
 日本にいた時は、いくら練習を重ねても音色の引き出しを増やすことがなかなかできず、とても苦労していました。大学卒業後に留学をしようと考えていましたが、ハンガリーに留学をするとは思ってもいませんでした。そのきっかけになったのが、岐阜・リスト音楽院マスタークラスでピアノの先生に出会ったことです。当時、大学の4回生だったのですが、たまたま大学内でマスタークラスや、留学試験のことが書いてあるチラシを見つけました。在学中は、リストの曲を弾く機会が多く、リストといえばハンガリー(その時は、リストがハンガリーにあまりいなかったということを知りませんでしたが)。そのリストの国の人から直にその感覚を教えて頂くことができる。日本人の感覚とはまた違うことをそこで何か感じ取れるかもしれない、と思ったことが参加する理由でした。マスタークラスで先生のコンサートを聴くと、音色の多彩さや技術はもちろん、正確な音楽の中にある空間の自由さ、生きる音楽の流れ、どれをとっても私がその時探し求めているものばかりでした。驚きや感動が止まらず、演奏は終わってほしくないと思ったためか、コンサートは一瞬のように終わった感じをもちました。「この方に教えて頂けるのなら習いたい」と強く思いました。そして、いざレッスンが始まると、自分の中になかった感覚を学べる日々で、たった1週間ほどの猛練習の期間が過ぎました。この先生に、早くハンガリーで教えてもらいたいという気持ちが募り、もうその時には留学先をほかに選ぶ余地はありませんでした。ハンガリーでの先生の指導は本当に的確でわかりやすく、事細かく指導してくださるので本当に充実したレッスンです。感覚をつかめなく悔しい想いをしていて、レッスン中に暗い顔になっても、先生はユニークな発想でわかりやすく説明してくださるので、心が明るくなります。「音を楽しむ」と書いて音楽と読む。まさにこういうことなんだなと思いました。
 ピアノのレッスンだけでなく、部屋の空間とピアノの響きの違い、時間の流れかたの違いなど、やはりここにいるからこそ感じる充実した毎日を過ごすことが多くなったように感じます。街中でハンガリー人のおしゃべりに耳を傾け、イントネーションなどを聞いて、「どういうニュアンスがハンガリーの曲に影響しているのだろう」と考えたり、時間がある限り乗り物に乗らず自分の足で歩き、いろんな物や音に敏感になったりしていると思います。古き良き時代の建造物をみて感慨深くなったり、当たり前のようにあるものに疑念を感じたり、私生活の何気ないことが気になるようになるなど、自然にこういう音を弾きたいという想いをもてるようになり、意思によるタッチの違いだけで、こんな音が出るのかという発見に驚きました。
 演奏会やオペラ、バレエなどにも何回も足を運び、いろんな芸術に触れ合う機会が多くなったこともあります。学生のコンサートでも多国籍の人たちの演奏で「国民性がでているな」と感じることも多くなりました。これは日本にいた頃の自分には感じることができなかったもので、自分自身の新たな発見もできたと思います。
 その甲斐あってか1年目の夏にはイタリアのコンクールで1位を受賞することもできました。もちろん結果は嬉しいのですが、それよりも自分が音楽を通して伝えたかったことをその場ですべて出し、それが結果につながったことが本当に嬉しかったです。この経験は本当に私の中で大きく、自分の音楽に対する方向性が見えてきた瞬間でした。
 2年目には大学院に入り、幸せなことですがほぼ毎日何かしらのレッスンがあり、座学、レッスン、試験の準備など、毎日の忙しさについていくのが必死でした。日本と比べ自分が出演するコンサートも多く、準備をしては演奏をする。大変ではありますが、本当に恵まれた環境の中にいるんだなと思います。
 3年目の今、卒業のためのディプロマコンサートを控え準備に追われています。これまでの音楽人生で培ってきたこと、ここハンガリーに来てからいろんなことを直に見て感じたこと、それらによって得ることのできた引き出しから、自分らしさを忘れず音楽と真正面から向き合い、これからも一人の音楽家として、生きた音楽を披露できる奏者になれればと思います。

(やじま・ありさ)